目次
Page 1
ー 夢だったお店を5年前に開店「確かな場所がほしかった」
Page 2
ー 歌を歌っている時間が何より幸せ

 

 歌手クリスタル・ケイ(36)を女手ひとつで育ててきたシンシア。自身も歌手として活躍していた。還暦を迎え、波瀾万丈な半生を振り返る。

 ひとり娘でシンガーのクリスタル・ケイを、自身の個人事務所からEXILE HIROが会長を務める大手芸能事務所『LDH JAPAN』に託したシンシア。ひとつの大きな役目を終え、第2の人生として新たなスタートを切ることに─。

夢だったお店を5年前に開店「確かな場所がほしかった」

「私の中に“ゆくゆくは地元でお店を”というひとつの夢がありました。だから娘が移籍して『シンシアさんはこれからどうするの?』とHIROさんに聞かれたとき、『私は横浜で飲み屋でもやりますよ』と言ったんです。ただそこでHIROさんから『店を開くなら東京においでよ!』と誘われて、バタバタと場所を探し始めて─。クリスタルにも相談しました。『飲み屋をやろうと思うんだけど』と伝えたら、『いいんじゃなぁい?』なんて、いつもの調子で言ってましたけど(笑)」

 5年前、東京に会員制スナックをオープン。当時55歳で、知識もスキルも何もない異業種へのチャレンジだった。

「飲食の経験といえば、10代のころに母の焼き肉店を少し手伝ったことがあるくらい。でもその後すぐ家出をしているので、経験といえるほどのものではなくて。

 ノウハウも何もなかったけれど、とりあえず5年頑張ってみよう、それでダメだったら諦めよう、という気持ちで始めました。店は約10坪で、15人も入るともうパンパン。でもそれくらいがちょうどよかった。小さくてもいい、手の届く確かな場所がほしかった。

 芸能界というのはとかく不安定な世界で、何度も壁にぶち当たってきました。いちばん大きな危機は東日本大震災で、芸能界がばったり止まり、7か月間仕事がなくなってしまった。娘と2人の個人事務所だったので、次に何かあったら母子共々倒れてしまう。LDHに娘を移籍させたのも、その経験があったから」