アナウンサーは向いていないと思った
「しゃべりたいだなんて、まったく思っていませんでした。あのころ誰しもがやっていたのですが、ラジカセで自分の声を録音して“ラジオDJ”のまね事をやってみると、“自分の声って、こんなにくぐもった声なのか”と思って。ラジオから聴こえてくるメリハリのある声とあまりにも違うので、“向いてないんだな”と思っていましたね」
その後高校に入り、人前での“しゃべり”を経験した。
「1年生の夏、遠泳合宿の夜に演芸大会が開かれて、なぜか僕が司会をやらされました。あんまり覚えていないんですが、それがちょっとウケたらしいんですよ。その流れで、1年の学園祭でやった『ロミオとジュリエット』の人形劇で、演出と照明を担当しながら、ナレーションを読むことに。それはそれで終わったんですが、“こういう学園祭みたいなことが一生、仕事でできたらいいな”と思ったんです。
2年の学園祭では、8ミリフィルムを持ってきたクラスメイトがいて、クラス全員で『エクソシスト』だとか、『ジョーズ』とか、『ロミオとジュエット』とかのパロディ映画を撮ることになって。でも、8ミリで撮ると音がないんです。それに気づいたのが完成ギリギリで、“セリフどうする?”となったときに、8ミリを持ってきたヤツが“お前(上柳)が映像を見て、映画の活弁士みたいに解説しろ”と言いだして。
しょうがないので、映像に合わせて“こいつはもう学校サボって~”とか“こいつはフラれたばかりで~”とか、いい加減なことをしゃべっていたら、 それがたまたまウケたんです。2日間の学園祭で2回だけ上映して終わりの予定が、見たいという人が列をなして並ぶようになり、そのうち、好きな女の子も見に来たり(笑)。 でも、学園祭が終わると“受験”という空気になり、つまらない高校生活が始まって、学校もサボり始めて、映画ばかり見て……。
3年になるころ、教職用のトイレで用を足していたら、若い男性の担任と一緒になりました。“お前どうすんの。このままだとちょっと大変だよ。やりたいことないの?”と聞かれ、“いや……”と思っていたら“しゃべる仕事やってみたら”って言われて。
どんな職業があるか聞いたら、“アナウンサーしかわからない”と。それで、なる方法を尋ねると、“とりあえず大学は出た方がいいんじゃない”って(笑)。客観的に言われたので、向いているのかもしれないと思って、一応大学に行って、放送研究会に入りました。だけど、アナウンサーらしい実況やニュース読みは全然やらずに、音楽の間にラジオドラマを入れていくという、『YMO』と『スネークマンショー』のコラボレーションアルバムのまね事ばっかりしていたんですよ。