不合格からまさかの欽ちゃんファミリーに

 いつかチャンスはめぐってくる。そう信じて小西さんは就職浪人。生活費はバイトで稼ぐ。牛丼屋で深夜の店長をやりながら、中京テレビのバラエティー番組『ジョークドキュメントBBS放送局』にも出演した。すると、

「BBS見たで!芸能活動やめてなかったんだな!!」

 NHKのディレクターが飛んできた。そして再び小西さんを『中学生日記』に担ぎ出す。役柄は教育実習生ではなく体育教師。その姿が、思いがけない人の目に留まった。

「小西がなりたいのはほんまの先生やろ?ウチに来い」

 電話口から聞こえてきたのは懐かしい声。高校時代の数学の先生は特別支援学校の校長になっていた。高校の教師に採用されるまで、ウチの職員として児童を相手に現場で経験を積んだらどうや? 

 渡りに船。来年度からお世話になろうと決め、芸能活動はそれまでのつなぎと割り切った。その直後、今度はBBSの放送作家から言われた。

「萩本さんに会ってこい」

 大スターの欽ちゃんに会える!小西さんは大喜びで東京のスタジオへ遊びに行った。

「稽古を見学してから、僕、吉野家のバイトがあるんで帰りますと言ったら、『次もおいで』と萩本さんから言っていただいたんですよ」

 それから毎月、小西さんは欽ちゃんに会いに行った。そして半年後。なんだかいつもと様子が違う。スタジオはオーディション会場になっていた。居並ぶ候補者の中には、風見しんごさんの姿も。

小西さんとともに欽ちゃんファミリーとして活躍した風見さん 撮影/齋藤周造
小西さんとともに欽ちゃんファミリーとして活躍した風見さん 撮影/齋藤周造
【写真】番組で人気コーナーだった「欽ちゃんバンド」。明星の付録表紙も飾った

「萩本さんはコニタンを“ウシ”って呼びましたよ(笑)。ゴツい兄ちゃんがボーッと突っ立っているから、僕も最初は大道具さんが仕事もしないでこっちを見ているだけかと思いました」(風見さん)

 小西さんは欽ちゃんに会いたくてそこにいただけ。目立つつもりはない。欽ちゃんが風見さんに告げた「合格!」という言葉を、小西さんが聞くことはなかった。

「体育会系の僕は何を聞かれても『はい!』と答えるだけやったから、萩本さんのコントには合わないと思われたんでしょうね。『小西、ごめん、今日で終わり』と言われて、すぐに名古屋へ帰りました」

 その足で小西さんは牛丼屋へ。ところが翌朝、TBSのプロデューサーから「欽ちゃんが呼んでいる」と連絡が来る。急いで新幹線に乗り、欽ちゃんの自宅を訪ねると、

「やっぱり合格。来週から木曜は吉野家、休むんだよ」

 思わぬ急展開。新番組『欽ちゃんの週刊欽曜日』('82年10月~'85年9月)のリハーサルは本番前日の木曜日から始まる。欽ちゃんから直々に言い渡された「レギュラー確定」を断る勇気がどこにあろう。かくして小西さんは、キー局の超人気番組で全国デビューを果たすこととなった。

 なぜ欽ちゃんは小西さんを「合格」にしたのか? 3年後に小西さんは聞かされた。

「落ちていちばんツラいヤツが、いちばんいい笑顔で帰っていった」

 それが欽ちゃんの気持ちを変えた理由だった。