夜な夜なディスコ通い、高校3年の夏に家出
三姉妹のうちシンシアだけが、長女だからと厳しく躾けられてきた。“なぜ私だけが”という納得のいかない思いを抱え続けてきた。高校3年の夏休みに入ってすぐ、積もり積もった不満が遂に爆発する。
「いつものようにディスコで夜遊びをして帰ったら、玄関にチェーンがかかっていて、家から閉め出されてしまった。ならばと壁をよじ登って2階から家に入ろうとしたら、母が仁王立ちで待ち構えているではないですか。そこで母に思い切り往復ビンタ、私の中で何かがぷつんと切れてしまった。小さなボストンバッグに洋服と眉墨をわっと詰めて、夜のうちに家を出ました。
まず向かったのが大倉山に住む叔母の家でした。叔母は母の年の離れた妹で、私にとってはお姉さん的な存在で話がわかる。叔母の家に居候しつつ、ディスコに通うようになりました。家には連絡をしないままでした。親も“しばらくしたら帰ってくるだろう”と考えていたのでしょう。
当初はさほど深刻には受け止めていなかったと思います。叔母さんの家にいることは母も知っていたんでしょう」
当時の遊び場は赤坂で、0時以降は六本木のディスコで夜な夜な踊った。ほどなくして働き口を見つけ、叔母の家を離れている。
「ディスコで知り合った人から紹介されて、赤坂のスナックで働くことになりました。小さい店だったけれど、蝶ネクタイをした店長さんがいるスナックで、お客さんについてお酒を注ぐのが私の主な仕事です。
お店のママが住む場所を見つけてくれて、赤坂で1人暮らしを始めました。サボイホテルの裏に新しくできたワンルームマンションで、家賃は8万円。10代の娘が1人で住むには上等すぎる部屋でしたが、スナックと掛け持ちで喫茶店でもバイトを始めて、その2つで生活は十分賄えました」
昼は喫茶店でウエートレスとして、夜はスナックで働き、仕事が終わるとディスコに行っては夜中遊んだ。
「若かったからタフで、2、3日寝なくても何ともなかった。とにかくディスコが楽しくて、親の気持ちなど考えているヒマも余裕もありません。家にはもう帰らないつもりだった。居所がバレることはないだろうとタカをくくってた。私のマンションを突き止めたのは、思いもかけない人物でした」(次回に続く)
<取材・文/小野寺悦子>