入籍する2年前、母がパーキンソン病と診断されたのを機に、介護を始めた。

「父もやはりパーキンソン病で、晩年は車椅子生活でした。山梨の家なら車椅子でも暮らせると思って」と、東京の仕事を清算し、母を連れて山梨に移住している。しかしそこには大きな葛藤があったと話す。

40年以上ぶりに母と同居

「ちょうど子どもたちが独立して、これから彼との暮らしが始まるというタイミングでした。山梨に行くとなると、じゃあ別れよう、ということになるかもしれない。でも彼に相談したら、“これを乗り越えないと来世でまた会っても結ばれないかもしれないよ”と言われ、移住を決めました。私としても、母がしてきたことを自分の学びにしなければ、という気持ちがありました」

 岡田が中学3年生のとき、母は突然、家を出た。家には3姉妹と父が残され、彼女は15歳のころから自身で弁当を作り、学校に通っていたという。母との同居はそれ以来で、40年以上がたっていた。


岡田美里が母の介護をきっかけに移住した富士山の麓は、自然豊かな素晴らしい環境。最近は東京にいる時間も増えたというが、田舎暮らしを楽しんでいる

岡田美里が母の介護をきっかけに移住した富士山の麓は、自然豊かな素晴らしい環境。最近は東京にいる時間も増えたというが、田舎暮らしを楽しんでいる

【写真】愛犬と大自然の中を散歩する岡田美里さん

「母はきゅうりが好きだったんだとか、一緒に暮らして初めて知ることもたくさんありました。でもそれは本来なら当たり前に知っていたことですよね。母は家を出てからずっとひとりで自由に生きてきたから、最初はいろいろ大変でした。ふと気づけば何も言わず散歩に出かけてケガをして倒れていたりと、周りに構わず行動することも多くて。けれどこれからは母もヘルパーさんなど周りの力を借りて生きていかなければいけない。

 “ひとりで生きているんじゃないんだよ”と、何度も母に言いました。“自分の歩んできた道の一番先が今ここ。自分の人生を見直すことも必要だよね”と母に伝えました

 移住から1年後、「地元に少しでも貢献を」と、社会福祉施設で入所者とともにジャム作りを始めた。ジャムブランド『ジャムオブワンダー』を立ち上げ、ウェブサイトのほか道の駅や頒布会で販売。手作りの美味しさが評判を呼び、今では即完売するほどの人気が続く。

「施設にいる方は18歳以上で、実際には30代から60代の方もいます。あまり言葉は通じないけど、彼らと一緒に作業していると楽しくて。みんな私のことを岡田美里だとは知らないんですよね。テレビ山梨の番組に私が出ているのを見て、“自分たちの施設で働いているおばちゃんがテレビに出てる”と思っているんです(笑)。私に対してフィルターがない。それがすごく心地よくて、癒しの時間になっています」