安住の地に見えた父親のもとでの生活
福井にある父親の実家で暮らすことになった。父方の祖父は離婚していたため、父・祖父・あおいさんの3人暮らしだ。少し変わった3人家族ではあったが、生き別れになった父親との再会を果たし、ようやく穏やかな日々が訪れるはずだった。が、その希望はすぐに打ち砕かれる。
「すごく大きくて立派な家で『ここは天国だ!』と思ったんですけど、中に入るとその家もゴミ屋敷で、仏間以外はすべてゴミで覆われていました(笑)。洗濯機も台所もお風呂もゴミで埋まっていたので、ご飯は食べられないわ、臭いはするわで全然神様じゃないじゃ〜んって」
祖父からの暴力も酷かった。
「おじいちゃんはすごく気性が荒い人でよく殴られました。1度だけ同級生を家に呼んだことがあったんですけど、同級生の前で殴られて私が吹っ飛んで障子がバキバキに壊れちゃいました。痛いし恥ずかしいしでおじいちゃんを呪いました。お父さんも見て見ぬふりというか、あんまり自分の子どもって感じがしてなかったんじゃないかな。なんかやってるなって見てるだけでした」
学校にも彼女の居場所はなかった。
「田舎だったからなのか排他的なところがあって、転校生ってだけで目立っちゃうんですよ。『都会風を吹かせてる』『東京からきたよそ者』といじめの標的にされていました」
どこにも居場所がなく、じょじょに精神的におかしくなっていったという。それを自覚したのはあおいさんが中学1年生、祖父が他界したときだ。
「おじいちゃんが死んで、すごく嬉しかったんです。それと同時にそんなことを思っている自分が怖くなった。でも、おじいちゃんが亡くなった悲しさはまったくありませんでした」
祖父が亡くなっても父親はあおいさんを育てる気がなく、関係は悪いまま。また、中学生になってもいじめは収まらず、ついに心が壊れた。
解離性同一性障害(多重人格)になったのだ。
「中学2年生のころ、私とは別に幼い女の子の人格が現れたんです。小さいころの自分の悪魔バージョンみたいな感じで、発狂したり凶暴になったり、なにをしでかすかわからない子でした。性的暴行を受けていたころの私が復讐しにやってきた感じですね。それまでも肺炎や腸炎で1か月に1回くらい入院していたんですけど、この解離性同一性障害は決定的でした」
あおいさんは養護学校への転入を希望したが父親はそれを許さず、いままでと同じ中学校で、保健室通いをするようになった。そんなとき、事件が起きた。
別人格で起こしてしまったボヤ事件
「学校でボヤ騒ぎを起こしちゃったんです。小さい女の子の人格になっているときに保健室の隣にある更衣室で雑巾を燃やしたみたいで。カバンに自傷用のライターを入れていたので、それを使ったそうです。でも、本当に覚えていないんですよ。けがをした人はいなかったのでそれだけはよかったんですけど、めちゃくちゃ反省しました」
この事件のこともあり、3年生になったころからはまったく学校に行かなくなったという。それでも、高校には進学した。
「私立の高校に入学しました。入学金はお父さんが払ってくれたんですけど、半年経ったあたりから授業料を払ってくれなくなって、1年生のうちに退学しました。でも、その高校の担任の先生が親身になって話をしてくれて『定時制の高校に行ったらどうか』と言われ、そんなに言うならと1年遅れで定時制高校に進学しました」
だが、学校にはどうしてもなじむことができず、アルバイトに没頭した。
「ファストフード店とアパレルでバイトをしていました。接客業が向いていたのかすごく楽しくて、解離性同一性障害も自然に治り人格が統合されました」
いままでの生い立ちを聞いていると接客業が好きな人にはならないように思うがと疑問を投げかけると、
「たしかにそうですね(笑)。でも、他人の大人はけっこう優しくて人間嫌いではなかったんですよ。それに、仲良くしてくれる人のことは大好きになっちゃうところがあって、バイト仲間やお客さんと話すのはすごく楽しかったんです」
自立と並行するように父親との関係は悪化していった。
「バイト代は父親に全部取られてましたね。だから反抗して、家には帰らずに学校に行っていない先輩とかとツルんで、毎日、ゲーセンとか、カラオケとかで朝までフラフラしてました」