ペットの遺体を“インスタ映え”投稿
「対面での繋がりよりもSNSでのコミュニケーションがメインになっている“ペット仲間”同士だと、『頑張って看取った気持ちに共感して欲しい』という思いから、抵抗感なく死に際を投稿してしまいがちです。
これは私の考えですが、飼い主にとっての理想のひとつが、ペットを看取ってやること。きちんと看取りができるかどうかは、その後のペットロスの重さを左右する大きな分岐点にもなります。だからこそ、自分がやり遂げた証しとしてSNSに詳細に上げてしまう人もいるのでは」
しかし、こういった投稿に対し、“遺体だから見たくない”という意見のほかにも“ペットの尊厳が守られていない”という理由で反対派の人もいる。
「ペットを飼っている人ほど、その思いは強いようです。“ペットも大切な家族”と言いながら、その遺体をSNSに晒すなんて許せない、と。
自分の親や子どもが亡くなったときにSNSに写真を上げるかどうかを考えてみれば、その違和感も理解できるはず。“飼い主の自己満足”と非難されても仕方ないかもしれません」
戸田さん自身も、ペットの亡き骸と飼い主の、妙に“インスタ映え”した記念写真のような投稿に違和感を覚えたことがあるという。ペットを自分たちの承認欲求を満たすための道具にして自己陶酔しているとしたら、それはモラルを問われるべきだろう。
投稿を見たくない、望まない人に“見せない配慮”を
望まない人に見せない配慮のひとつとして、投稿の方法があげられる。
「ペットの葬儀には細かなルールやしきたりがないため、SNSで訃報を伝えること自体は問題ではない。ですが突然、遺体の写真が目に飛び込んでくるのは、心の準備もなく強制的にSNS上のお葬式に参列させられるようなもの。“今、見るかどうか”を選択できるよう配慮をするべきです」
具体的には、ツイッターならセンシティブ設定にする、インスタなら複数のスライド写真の最後に遺体の写真を配置し、投稿の内容がペットの訃報であると冒頭で通知する、などだ。
それでも、死に際の様子や亡くなったという速報を投稿してしまう気持ちも理解できる、という戸田さん。自身も数年前、病気で危篤状態の愛犬に付き添いながら、発作に苦しみ弱っていく様子を、ツイッターでつぶやいたことがある。
「絶望的な気持ちをどこかに吐き出したかったし、つぶやくことで自分の混乱した気持ちに整理をつけていたんだと思います。今考えると、読む人に配慮する余裕はなかったな、と」
手のひらの中のスマートフォンから、時に望まない情報も飛び込んできてしまうSNS。かわいいペットを愛でるのはいいけれど、急に遺体を見せられるのはできれば避けたいものだ。
「結局は見る人の考え方や環境によっても受け取り方が変わるので、ペットの訃報マナーに正解はありません。不快な思いをしたくないのであれば、マナーの感覚が合う人とだけ繋がるようにして、違和感を感じる相手はそっとフォローを外すなど、距離を置くのがお互いにいいと思います」
お話を伺ったのは……