「私の人生は人に恵まれたと同時に、場所にも恵まれた」
わが家には「開かずの扉」がある。正確には「開けずの扉」なんだけど。その前に住んでいた新宿区四谷のマンションから持ってきたモノ一式を、保管しているだけの部屋。何を持ってきたのか、何が入っているのかわからない。恐ろしくって開けられない。小学生のころの通信簿とか、昔のラブレターとか。
このマンションには、ほんの数か月だけしか住んでいないけれど、私はとても気に入っていた。だって、大好きな新宿伊勢丹が近かったんだもの。それに、あのころはよく「どん底」へ飲みに出かけていたから、そこにも歩いてゆけてありがたかった。
でもその物件は「いわくつき」だと、ある大物芸能人の方がラジオで話していたことがあった。その方も密会の場所として借りていたんだけど、なんでも「高層階から飛び降りた老人が“出る”」と。
当時、私は母と娘と一緒に暮らしていた。ある朝、母が「昨日は本当に眠れなかった」と言う。「どうしたの?」と聞くと、「だってベッドの足元のほうにおじいさんがいて、ずっと話しかけてきてうるさかったのよ」と、母はあきれながら話し始めた。
うちの母は、俗に言う“見える人”だった。だからなのか、私はその言葉を聞いたとき、あの大物芸能人が言っていたことは本当なんだと思った。そういえば……外観や間取りは立派なのに、ずいぶん家賃が安かったのよね。
それから間もなくして、いま住んでいる一軒家が完成した。以来、ずっとここで暮らしている。ご近所さんとも仲よくなり、とりわけお隣さんとは、お料理をお裾分けしてもらうくらい親しくなった。
今でも忘れられない。(吉行)和子っぺと(岸田)今日子ちゃんと一緒に仕事で台湾へ行ったときだった。お隣さんは家族総出で私をお見送りしてくださった。お餞別のぽち袋まで用意して。私の人生は人に恵まれた──と同時に、場所にも恵まれたのだと思う。
大谷選手の載ったスポーツ新聞を読むために通っている、近所の喫茶店も優しくてお気に入り。まぁ、コーヒーを飲んでいる場合じゃなくて、そろそろ家の整理をしないといけないんだけど、アハハ。
(構成/我妻弘崇)