朝ドラ、大河ドラマ、名脚本家が語る裏側

 平均世帯視聴率62.9%。全放送局のドラマ史上、もっとも高い視聴率を誇るのが、『おしん』('83年)だ。NHKをひもとくうえで、連続テレビ小説(通称・朝ドラ)や、『独眼竜政宗』('87年)といった大河ドラマの存在を忘れてはいけないだろう。

NHK大河ドラマというのは、脚本家にとってあこがれの舞台」

 そう語るのは、朝ドラ『京、ふたり』('90年)や『秀吉』('96年)、『利家とまつ』('02年)といった平成を代表する大河ドラマの脚本を手がけてきた竹山洋さんだ。

「私は、'93年にNHKの『金曜時代劇』で放送された『清左衛門残日録』の脚本を担当し、文化庁芸術作品賞や橋田賞をいただいた。まもなくして、NHKのプロデューサーから『NHKには“長いドラマ”がありますが、それをやってみませんか?』とオファーがあった。これは大河のことだなと、跳び上がりました」(竹山さん)

 竹山さんがオファーを受けたのは、『秀吉』のスタートの約3年前だといい、この時点では、「題材は決まっていなかった。私のほうで豊臣秀吉を軸に置いた大河を書きたいと提案した」というから驚きだ。

 竹山さんは、「あくまでわれわれの時代の話だが」と断りを入れたうえで、「制作サイドとは自由闊達に連携を取りながら作らせていただいた。プレッシャーは尋常ではなかったけれど」と笑う。

 もちろん、時代背景を鑑みてテーマを選ぶこともあるという。その一例が、『利家とまつ』だと語る。

竹山さんが脚本を担当した『利家とまつ』
竹山さんが脚本を担当した『利家とまつ』

「'99年に、男女共同参画社会基本法が施行されました。そうした時代観を反映した題材が良いといわれ、『利家とまつ』を着想した」

 まつの決めゼリフである、「わたくしにお任せくださいませ」は、流行語にもなった名フレーズだが、実はこんな裏話が。

「いいセリフが浮かばずに、『このままではダメだ』と頭を抱えていたときに、私の妻が、『脚本ができずにお金をもらえなかったとしても、私がなんとかするから任せておけばいいのよ!』と言ったんです。『これだ!』と思って脚本に反映したら、プロデューサーも大いに気に入ってくれた」(竹山さん)

 思わず視聴者が、「わかる! わかる!」と感情移入してしまう脚本の妙もあったからこそ、記憶にも記録にも残る朝ドラ大河ドラマは生まれたのだ。