在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。高校時代はディスコに明け暮れ、17歳のときに家を飛び出した。赤坂で念願のひとり暮らしを始めるも、日吉の実家に連れ戻されてしまう。
ディスコ仲間と再び家出
「『もうこれ以上彼のDVに耐えられない。地元の横須賀に逃げる。アンタも実家がイヤなら一緒に行こう』とディスコ仲間のフミコに誘われ、私も横須賀に行こうと決めた。もうひとりのディスコ仲間、キキも一緒に行くと言います。
キキのアパートは池袋にあって、そこでお兄さんと2人で暮らしていた。アパートは不良のたまり場になっていて、私も転がり込んでいた。キキにとって横須賀行きは、『2人が行くなら!』という軽いノリだったと思います。まず池袋でキキの荷物を軽トラに積み、日吉で私の荷物を積んで、みんなで横須賀に向かいました」
シンシアにとって実家というのはどこまでも息苦しい場所だった。2度目の家出は無事成功し、横須賀で新たな生活が始まる。
ひと目で恋に落ちた海軍の黒人男性トニー
「フミコはそのまま横須賀の実家へ帰っていきました。私とキキは北久里浜に部屋を借り、一緒に暮らし始めます。2DKのアパートで、家賃は4万3000円。キキと2人で折半です。フミコのお兄さんの口利きで、横須賀中央のスナックで働くことになりました。そのころの私は17歳で若く、先のことは考えていなかった。親には連絡をしないままでした。
当時横須賀で人気の遊び場といえば、CLUB ALLIANCE。横須賀基地の近くにある、軍用娯楽施設。軍人さんばかりだったので、日本人はほとんど入ってこない。今はその跡地に横須賀芸術劇場が立っています。1階に巨大なクラブディスコがあった。店には基地で働く海軍の人がよく遊びに来ていて、私たちも週末に通うようになりました」