アイドルグループの誕生はおニャン子クラブから
ところが、1980年代半ばになると、アイドルの定義が「普通の女の子」に一変する。やはり、おニャン子からだ。身近に存在しそうだからこそ、人気を博すようなった。
「それまでは普通とは違う存在になれる女の子を探し、レッスンしていたのですから、みんな困りましたよね(笑)。蓄積したノウハウが通用しなくなった」(芸能プロダクションスタッフ)
ほかにもファン心理の変化があった。
「グループの中から自分のタイプの子を選ぶ時代になった。今になって思うと、『推し』の始まりもおニャン子」(同)
応援の仕方も激変した。
「それまではソロアイドルごとに親衛隊なるファン集団が存在し、自由な応援を規制することもあった。ほかの親衛隊とトラブルになることもあり、その存在は評判がよくなかった。
一方、おニャン子以降は親衛隊がいなかった。みんなでグループ全体を応援し、その中の好みの子を特にプッシュするようになった。今のグループアイドルの応援と同じ。こっちのほうがファンたちに支持された」(同)
おニャン子のプロデューサーが時代観察に長けた秋元康氏(64)というのが大きかった。また、秋元氏がおニャン子のメンバーで考えた「卒業制度」はのちのグループアイドルに大きな影響を与える。
この制度を最初にフル活用したのが「モーニング娘。」だった。1997年『ASAYAN』(テレビ東京)のオーディションの落選者5人によって結成されたグループなのは知られている通りだ。
「グループはつくるのは簡単だが、維持するのが難しい。メンバーが1人でも『脱退したい』『引退したい』と言ったら、存続が危ぶまれる。無理に続けても持たない」(前出・レコード会社OB)
ところが、モー娘。の場合、脱けたいメンバーたちは次々と卒業させ、メンバーを入れ替えた。1期の福田明日香(38)、中澤裕子(49)、6期の藤本美貴(38)、10期の佐藤優樹(23)……。モー娘。の看板は残るから、半永久的に存在させることも可能になった。メンバーの入れ替えによって、グループ全体の年齢の上昇も避けられた。