転がり続けることにこそ意味がある
2月17日。台東区の浅草公会堂で開催した『夢コンサート』のステージ。マイクの前に立った尾藤は、ジョン・レノンのようにいきなり歌い出したりはしない。
「早いもので、僕も歌い始めて今年で60年になります。昔はプレスリーに憧れて、夢中でロカビリーをやりました。いまでは夢中でリハビリをやっております」
尾藤のあいさつに爆笑が起こる。お得意のジョークで観客の気持ちをつかんだかと思うと、『監獄ロック』の熱唱で会場は手拍子に沸いた。
コンサートスタッフで編集プロデューサーの河本敏浩さんは言う。
「尾藤さんのステージを見て、僕はあらためてプレスリーを聴き直しました。アメリカから入ってきた新しい音楽を日本語で表現しようとした、まだ手垢にまみれていない日本のロックンロールを60年間歌い続け、その魅力を時空を超えていまの世に体現できるのは、もう尾藤さんしかいないと思っています」
その尾藤にも、答えられない問いがある。自分にとってロックンロールとは何か?
「歌っていてわかるのは“終わりはない”ということですかね。僕みたいな小さな石ころでも、転がり続けることに意味があるというのかな。
聴いてくれるお客さんが違えば、歌も毎回違ってきます。“これがロックだ”と満足することは絶対にない、常に何か新しいものを追い求めなきゃならないんですよ。今度の『BACKBEAT』でも、100歳になってステージに上がったときでも、“尾藤イサオの『ハウンド・ドッグ』はカッコいい”と、みなさんに思っていただけるようにね─」
<取材・文/伴田 薫>
はんだ・かおる ノンフィクションライター。人物、プロジェクトを中心に取材・執筆。『炎を見ろ 赤き城の伝説』が中3国語教科書(光村図書・平成18~23年度)に掲載。著書に『下町ボブスレー 世界へ、終わりなき挑戦』(NHK出版)。