目次
Page 1
ー 麻倉未稀さんが自分の“命”と向き合ったきっかけ
Page 2
ー 病気のなか、頭を過った歌
Page 3
ー がんサバイバーとして伝えたい自らの体験 ー NPO法人『あいおぷらす』を設立
Page 4
ー 母からの大反対を押し切って歌手デビュー
Page 5
ー 占い師の助言で精神科に
Page 6
ー 歌手・麻倉未稀のブレイク ー 自分を見失い地に足が着いていないことを痛感
Page 7
ー 結婚に離婚も《落ち目》の苛評を一蹴 ー 苦難を乗り越えて見つけた自分らしい“自分”
Page 8
ー “自分らしさ”が活きたがん教育の啓発活動

「もう何が来てもたじろがないかな。やっと地に足が着いたという実感があるので」

 と、笑顔で取材を終えた麻倉未稀さんは、その夜、自身のブログにこう記した。

《前に進むための必然のインタビューだったのかと》

麻倉未稀さんが自分の“命”と向き合ったきっかけ

 4月6日のことだ。ちょうど6年前のこの日、麻倉さんは生まれて初めて自分の“命”と向き合った。

乳がんの疑いがあります」

 出演したテレビ番組の健康診断で、クリニックの医師から告げられる。大学病院で精密検査を受けると、左胸上部に腫瘍が2つ見つかった。

「良性の可能性は……」麻倉さんが半信半疑の思いを口にすると、医師は診断画像を見ながら冷静に言った。

「生検をしてみないとわかりませんが、これだけハッキリ写っていると、ないですね」

 生検の結果が出たのは翌週。疑いは逃れられない“現実”になった。がんの進行はステージ2ながら厄介なケース。麻倉さんとは3歳違いの姉・高橋美和子さんは述べる。

「性質の異なる2つの腫瘍がひょうたんのようにつながっていて、普通ならリンパに転移していてもおかしくない状態だったんです。でも、小さいころから頑張り屋さんの妹は、私の前では元気な様子しか見せませんでした」

 周囲には明るく振る舞いながら、実は心の中で「死」をイメージしていたと麻倉さんは言う。理由があった。デビュー直後から自身の育ての親でもあったプロデューサーが前年にがんで亡くなったばかりだった。父の徳治さんも、過去に大動脈瘤の難手術を受け、集中治療室で病と闘った。

「人は自分の意思とは関係なく死に向かうんだなと、考えないわけにはいかなくて。私にとってがんになったことは、頭で理解していた“生きる”ことの意味を、魂で理解した究極の体験でした」