「父が亡くなったのは僕が24歳のとき。当時はすごく悩みました。僕も歌いたかったし、曲もまだまだ作り続けたかったし、音楽で成功したかったから。だから自分の中で“40歳になったら父の後を継ごう、それまでは音楽で走っていこう!”と決めたんです」
作曲家・楠瀬誠志郎、偉大な父から受けた独特の英才教育
そう語るのは、シンガー・ソングライターで作曲家の楠瀬誠志郎(63)。1991年にリリースした『ほっとけないよ』が大ヒット。“天使の歌声”といわれる艶やかなヴォーカルと、優しく温もりある楽曲で世の女性たちの心を魅了してきた。しかし2000年代に入ると歌手活動を休止し、ライブから遠ざかるようになる。そこには亡き父から託されたひとつの思いがあった。
声楽家であり日本におけるボイストレーニングの草分け的存在といわれる楠瀬一途さんを父に、3人兄弟の長男として生まれた。両親は長男に音楽の道を継がせようとあらかじめ決めていたという。英才教育は幼少期から始まった。
「夕食が終わると父がグランドピアノでジャン、ジャン、ジャン! とコードを3つたたき、“今日の味はどれだった?”と、味を音で表現した問題が出題される。それが毎晩の日課でした。答えを間違えると譜面台でバーン!とたたかれる。けれど正解するとキスチョコをひとつご褒美にくれて、僕を優しく抱きしめてくれる。それはもう天にも昇る気持ちでした。夕食を食べながら毎日“今日はどんな音がするだろう?”と考えていましたね。カレーのようなはっきりした味ならまだわかりやすいけれど、湯豆腐のときは食べながら泣いていました(笑)」
父の教育は見事に実を結んだ。高校時代にCMソングを手がけ、プロの音楽家としてキャリアをスタート。アーティストのコンサートツアーやレコーディングにコーラスとして参加し、その傍ら曲を作り始める。自身の楽曲はもちろん、メジャーデビュー前から作曲家として活躍し、武田久美子、薬師丸ひろ子、沢田研二ら、数々のアーティストに楽曲を提供してきた。
作曲法は独特だ。まずアーティスト本人と会い、声を聞き、話を聞き、頭の中に生まれた響きを実際の音に変換していく。それも父の教えがあったから、と振り返る。
「例えばコーヒーを見たら、これをどう音にしたらいいか考える。誰かを見たら、この人をどう音に変えたらいいか考える。そんなことを幼いころから当たり前にしてきました。だけど、自分に曲を書くのは難しい。メロディーも自分の歌う情景もすべて見えていて、そこに近づけていく作業になる。完璧な音になるまで妥協できないから、どうしてもハードルが高くなってしまいます」
『ほっとけないよ』は通算10枚目のシングルで、ドラマ『ADブギ』(TBS系)の主題歌に起用された。加勢大周さん、浜田雅功、的場浩司ら人気スターの共演でドラマは話題を集め、『ほっとけないよ』は70万枚のセールスを記録する。しかし彼自身、ここまでのヒットは予想していなかったと話す。
「実はもともとコンペには2曲用意していて、僕の中ではもうひとつの楽曲のほうが本命で、『ほっとけないよ』は補欠のつもりでいたんです。当初は浜ちゃんが歌うかもしれないという話があり、彼にキーを合わせて作っています。ドラマの打ち上げでは浜ちゃんがカラオケで歌ってくれました」