原告の伊藤さんは、「ヘルパーのほうが利用者よりも年上で、遠慮して要望を伝えにくいという人もいます」と話す。
こうした「老老介護」はいつまでも続けられるわけではない。新たに若者が入ってこないばかりか、ベテランの離職も目立つ状況にあるからだ。伊藤さんは懸念を隠さない。
「1回90分だった訪問時間が'06年には60分に、'12年には45分、30分、20分になり、短時間で多くの利用者宅を回る細切れの働き方に変わりました。サービス内容も生活援助が減らされ、排泄や入浴など身体介助が中心になりました。
ですが、訪問介護は利用者に選択してもらってケアするのが基本。“お茶にしましょうか?お水にしましょうか?”とか“今日着るのは、この服がいいですかね?”などと聞いて、本人に選んでもらうことが重要です。
利用者との対話を通して、心身の状態を把握することも欠かせないのに、時間がとれない。認知症の悪化や体調変化を見逃すおそれもあると思います」
人手不足でヘルパーを確保できなければ、家族で介護を担うしかない。
「家族の負担が増えるほど一家心中や高齢者虐待、介護離職などのリスクはより増していくでしょう。孤独死も増えるかもしれません」と伊藤教授。こうした事態を防ぎたければ、介護保険制度を根本から見直すべきだと強調する。
「ヘルパーの賃金が上がらない理由は明白です。元手となる介護報酬を増やす必要があり、それには私たちが支払う介護保険料を増額しなければなりません。
しかし、介護保険料は低所得者ほど負担が大きく、年金額の半分を占める人もいます。それよりも国の予算をケア労働に優先的に配分し、介護報酬の増額を図るべきでしょう」
原告たちは、この裁判で「ケアを社会の柱に」という言葉を掲げている。
「誰もが介護のお世話になるときが来ます。無関係ではいられない。なのに、なぜケアの現場で働くことが社会の中で一段低く見られているのか、謎でした。その謎を解き明かせないうちはヘルパーを辞めるわけにはいかない。
裁判を通して、生産性や効率では測れないケアの重要性を伝えていきたいです」(藤原さん)
裁判の次回期日は5月31日。異次元の高齢化が進む今こそ、注目してほしい。
(取材・文/徳住亜希)