努力するも亀裂の入ってしまった家族

 自分の力で仕事を開拓していく裏で、順調だったはずの結婚生活は徐々に崩れ始めていた。

 結婚した翌年に母を引き取ったことが原因だ。父と離婚した後、母は事実婚の恋人と暮らしていたのだが、その人と別れてから重度のうつ病になってしまい、放っておけなかったのだという。

子どものころには、母がどういう人か見えていなかった部分も大きいですね。例えば、母のまったく悪気なく発した言葉が、夫を傷つけていたり。

 その無神経と言わざるを得ない言動に、私は同居を承諾してくれた夫に申し訳ない思いがどんどん大きくなって、言いたいことも言えなくなってしまった。そういうことが夫婦の関係にも影響したように思います」

 それでも11年間夫婦を続けた。理由を聞くと、杉本はこんな答えを口にする。

「1回結婚したら離婚という選択肢は、絶対なかったんです。だから、とことんまで我慢することが正しいと本気で思っていました。それに、自分が失敗したことを認めたくなかったのかもしれないですね」

 結局、もう無理だと悟って離婚するのだが、決断する前に、杉本は「夫婦2人でやり直してみたい」と母に別居を申し出た。すると母は「親を捨てるのか!」と激怒。反対したが、今度は妹夫婦と同居することになり、杉本は母に仕送りを続けた。

 数年後に、さらなる家族トラブルが起こった。発端は杉本が立ち上げた化粧品ブランドに、妹夫婦を役員として迎え入れたことだ。しばらくすると、杉本と運営方針で対立。妹夫婦にとって自分は面倒な存在なのだろうと感じるようになった。

「私は母にも妹にも、家族だからできる限りのことをしてきましたから、まさかこんなふうになるとは夢にも思わなくて……。ショックと怒りで、頭が噴火するかと思うほどでした」

 それほど怒り心頭だったのに、杉本は妹夫婦にすべて渡して、自分は会社から身を引いてしまう─。

 杉本のマネージャーを長年務め、後に杉本と結婚した松山禎秀さん(53)は、そのときの状況をこう説明する。

僕のほうが冷静でいられず、少しでも資産を取り戻せないか弁護士に相談しようとかギャーギャー言ったんです。

 でも、彩はそんなんもうええわ。それより、妹たちに私の人生に二度と関わらないでと。覚悟を決めて何でもやる人なので、本当に一本、バシッと何か通っているんですよね。ものすごい男前なんですよ(笑)」

 その後、杉本は苦労の末に新たな化粧品ブランド『リベラータ』を立ち上げた。

 順調に売り上げを伸ばし、今も多くの人に愛用されている。ちなみに、『リベラータ』は動物愛護の精神から、製品開発における動物実験を一切行っていない。