締めくくりに言われたのは、“芸はプロだけど、生き方がアマチュア”というひと言。つまり、ネタの部分は高く評価してくれたのだろう。その後、永さんはミチコさんをいろんな業界関係者に紹介してくれて、テレビやラジオの仕事につながっていったという。
「永さんの言葉は厳しかったですけど、うまいこと言うなと思いましたし、ありがたかったですね。私も年をとったら、若い人にそういうふうに声をかけてあげたいと思ってましたけど。なかなかできませんもんね」
永さん主催のライブにも呼ばれるようになり、そこから活躍の場を広げていった。予定していた効果音が鳴らないというハプニングがあったときに立ち往生してしまい、叱責を受けたこともある。場数を踏みながら、その後も、“生き方がアマチュア”という部分をひとつひとつ克服していった。
女性のほうが意地悪な目がある
ミチコさんは1960年、岐阜県に生まれた。父はジャズ喫茶を経営しており、自らもバンドを組んでいたほどの音楽好き。家には楽器がいろいろあり、ミチコさんはピアノを遊び道具のように弾いていた。
「音楽教室に行って、きちんとしたピアノを習ってたこともあったんですけど、テレビで聴いた歌謡曲やコマーシャルソングをすぐに弾けたので、そっちのほうがウケたし褒められたもんだから。ウケるほうを伸ばしていったという感じでした」
音楽とともに、お笑いも好きだった。
「学芸会とか、大勢の前でどうこうって感じではなくて、教室の隅っこでふざけているのが好きな子でした」
ザ・ドリフターズのテレビ番組『8時だョ!全員集合』などが大人気の時代だった。クラスでは男子が「ちょっとだけよ」と加藤茶さんのストリップ風のポーズをマネして笑いをとっていたときに、少女のミチコさんは違和感を感じていたという。
「本当は服を脱ぐポーズじゃなくて、微妙な表情をマネしたほうが面白いのにと思ったんです。ただ、女子が“ちょっとだけよ”とやっても、まわりが引いてウケないだろうなと感じて、私はやらなかったんです。そういう意味では笑いって男のほうが向いているのかな」
そのときは一瞬、「男に生まれてればなぁ」と思ったそうだ。
「でも、女性のほうが意地悪な目があるでしょう? モノマネなんか特にそうなんですけど、人の細かい部分を誇張したりちゃかしたりして、笑っちゃうっていう部分はある。女性には別の視線があると思います」
ミチコさんには音楽という武器もあった。幼いころから得意のピアノで当時人気だった山口百恵さんや、浅田美代子さんなどの曲を弾き、モノマネして遊んでいたという。ただのマネだけでなく、ちょっと皮肉なツッコミを入れたりしながら、笑いをとるのが楽しみだった。
「よっちゃんという、頭もよくて人気もあった同級生がいたんですけど。彼女が私のやることによく笑ってくれて、よっちゃんをどう笑わせようかと考えるのがすごく楽しかったんですね。ところが、彼女がだんだん笑いに厳しくなってきて、面白くないとあんまり笑ってくれなくなっちゃったんです。
私が異常に力を入れてオーバーなことをやったときには全然ウケてくれなくて、いわゆるスベるって感じになったこともありました。力を入れずにペロッとやったほうがいいんだなぁというのが、よっちゃんのおかげでわかりましたね」