何も変わらぬ16年、募っていく苦悩
かつては千波さんの2人の子が祐子さんに懐いていたが、次第に、ひきこもりがちな叔母とは会わなくなっていった。千波さんは子どもたちに、祐子さんともっと接触してほしいと頼んだこともある。だが子どもたちにも、もう自分たちの生活があるし、叔母にどう接したらいいかわからなくなってもいる。
「子どもたちにそれ以上のことを強いるのは難しい」だから千波さんはときおり電話をするが、祐子さんが出ることはまずない。それでも、ときどき実家に粘土が何十キロも届くことがあり、妹が作品を作っているのは確かなようだ。
一昨年暮れ、武徳さんは理容店を閉めた。80歳を前にして体力に自信がなくなったのだという。コロナ禍で営業も厳しかった。
「家にいるようになると、ますます祐子のことが気になってしまってね。同じ家にいるのに言葉も交わさず、姿を見ることもない。なんだかおかしいでしょ」(武徳さん)
祐子さんは2階への階段を上ったところに暖簾のようなものをかけ、自室に誰も入れないようにしている。それが彼女の心を物語っているようで、千波さんは実家に戻るたび、切なくなるという。
武徳さんが席を外すと、千波さんは小声で言った。
「行政に相談しようとしたら、父がいい顔をしないんです。家族が何を言っても顔を合わせようともしないのに、他人が家に入ったらもっとこじれるんじゃないか、と。そう言われると、今のままでいるしかないのかと私も思う。だけど父のためにも妹のためにも、本当はこのままでいいはずがないという気もして……」
何も変わらない16年が、17年になり、そのうち父は90歳になり、妹は還暦へと近づいていく。部屋からほとんど出ない人間をどう扱えばいいのか。どうすれば彼女の人生を変えられるのか。父と姉の悩みは深い。
「千波はけっこう激しい性格で、祐子は引っ込み思案。ふたり合わせて2で割れば、ちょうどいい人間になる。いつもそう思っていました」
武徳さんは苦笑しながらそう言った。もはや、苦笑することしかできないのかもしれない。世間で騒がれた8050問題は、今や9060問題となりつつある。
(イラスト/小林裕美子)