娘の才能に気づいたのは2歳タレント性は生まれ持ったもの
「娘も幼いながら心配したのでしょう。テレビでミサイルが飛ぶ映像を見て、
『パパ死んじゃったの?』と娘に聞かれ、
『パパは大丈夫だから!』となだめたこともありました。ただ、夫の仕事は物資を補給する担当で、危険な任務ではありません。中東への遠征は半年以上続いたでしょうか。日本に船が戻ってきたとき、海軍の鼓笛隊が横須賀の港にズラリと並び、それは盛大に出迎えられました」
シンシアと夫の最大の共通点が音楽だった。マドンナやマイケル・ジャクソン、ジャネット・ジャクソン、プリンスをはじめ、当時はアメリカン・ポップスの全盛期で、家の中は常に音楽であふれていた。
「私自身は娘をシンガーにしようと考えたことは一度もありません。ただ、やはりタレント性というのは生まれ持ったもののような気がします。
娘の才能に気づいたのは2歳のときでした。夫と3人でキャデラックに乗っていたら、後ろの席で娘が何か歌っている。何だろうと聞き耳を立てると、『ドゥーン、ドゥン、ドゥン』とベースラインを口ずさんでいるではないですか。夫は仲間とバンドを組んでベースを演奏していて、かなりの腕前でした。娘もそのDNAを受け継いだのかもしれません。
根岸でも娘の歌は評判でした。子どもたちが集まるとよく歌合戦が始まって、『私がマドンナを歌う!」』僕はマイケル!』とお気に入りのシンガーの取り合いになったものでした。けれどひとたび娘が歌い出すと、
『クリちゃんが歌っているから、しー!』という雰囲気が自然とそこに生まれます。
娘の才能は次第に仕事仲間の間でも知られるようになっていきました。あるとき、
『子どもの声が欲しいからクリちゃんちょっと貸してよ』と声をかけられました。それが娘の“初仕事”。クリスタルが4歳のときのことです」(次回に続く)
<取材・文/小野寺悦子>