崖っぷちを救ったKinKi Kidsとは師弟関係
そんな山下には1995年ごろから、キャリアに悩んでいた時期があった。引退の二文字が過ぎる出来事もあったという。
「自社のスタジオがレインボーブリッジ竣工に伴い、取り壊しにあったこと、以前所属していたレコード会社とアルバムのアレンジについて諍いが生まれ、係争状態にあるなど、ミュージシャン人生にネガティブな打撃を受けた時期がありました。そんな折に、所属事務所・スマイルカンパニーの当時の社長でジャニーズ・エンターテインメント取締役も務めたことのある小杉理宇造氏から『KinKi Kidsのデビュー曲を書いてみないか』と打診があった」(レコード会社幹部)
作詞を松本隆と山下が作曲し、約180万枚を売り上げた『硝子の少年』(1997年)である。
「デビュー曲を手がけるにあたって、ジャニーさんからは最低条件として“オリコン初登場1位とミリオンセールス”という難題を課されていた。蓋を開けてみれば今日にも名曲と呼ばれる大ヒット作に。その後、キンキや他のアーティストらへの楽曲提供は加速、特にキンキとは“師弟”のような関係に」(同・レコード会社幹部)
嵐には山下が作曲、妻の竹内まりやが作詞した『復活LOVE』を提供しており、
「山下さんは嵐のメンバーはJr.時代から知っており、思い入れも強い。『復活〜』のレコーディングは5人がそれぞれソロで音入れをしたのですが、山下さんはその全てに参加して歌唱の仕方から何まで付きっきりでアドバイスをしていましたよ。夫婦でコンサートも観に行っていましたね」(同・レコード会社幹部)
木村拓哉とも縁がある。2003年には主演ドラマ『GOOD LUCK!!』(TBS系)に山下の名曲『RIDE ON TIME』が使用されたり、2019年の主演ドラマ『グランメゾン東京』(TBS系)にも主題歌を書き下ろしている。また、昨年発売された木村のソロアルバムに楽曲提供をするなど、深い関係性が。それはプライベートでも。
「木村さんは山下さんの“大ファン”で過去に何度もお忍びでライブに駆けつけたり、共通の趣味のデニムを通じて一緒に買い物に出かけたりもする仲。SMAP解散騒動の渦中には、メリー喜多川(当時副社長)さんと竹内まりやさんがハワイ旅行に出たことが、マスコミにすっぱ抜かれたこともあった」(前出・元ジャニーズ事務所関係者)
炎上発言の背景にあった公私混同。しかし、現代においてあのようなコメントは悪手だったといえるのではないか。ラジオでSNSなどはやっていないとも発言していた山下。ネットの失望の声は彼に届いているか──。