「村上氏に『朝生』出演見合わせや、週刊ポストの報道に異議を申し立てるなら、直接担当者に問い合わせればいいはず。三浦氏からしたら村上氏を庇う意図があったのでしょうが、なぜツイッター上で、関係ない他人の夫婦生活を呟くのか。こちらとしては勝手にプライベートを世間の目に晒され、蹂躙されているような絶望感に襲われました。

 このままじゃ自分の尊厳が失われる……。居ても立っても居られなくなり提訴を決めました。テレビ朝日の職員が、社の看板番組である『朝生』の出演者に対して裁判を起こすなんて馬鹿げていると思うかもしれませんが、自分のなかで迷いはなかったです」

論点をすり替える三浦瑠麗

 こうして'19年7月、西脇氏と三浦氏の裁判が始まった。西脇氏は本人訴訟を選択し、対して三浦氏は橋下徹氏が代表を務める『橋下綜合法律事務所』の弁護士を手配する。しかし、闘いは長期戦となり、結果的に裁判は1345日にももつれる。その要因は、“三浦氏の論点ずらし”にあったと西脇氏が語る。

こちらは一貫してプライバシーの侵害を訴えているのに、三浦氏は『不倫報道は女性の方が大々的に取り上げられがち』『(火種となったツイートは)男女同権を訴えたもの』と反論して、ひたすら論点をずらしてくる。正直、いまでも三浦氏がどういうロジックで男女同権を持ち出してきたのかは不明ですし、そもそもそんな深い意味はないとも思っています。三浦氏は自分の得意なカテゴリーに議論を持っていき、大上段に構えた議論で押し切ろうとしていく。そんな狡猾な戦法を取っていたように感じました。

 特に書面でのやり取りを通すと、余計に何を言いたいのかがあやふやに。三浦氏が書いた文章は、一文一文が異様に長くて、逆説が多用されているんです。テレビに出ている三浦氏は、滔々と物事を喋られて表情や口調もよどみなくハキハキしており、説得力があるように見えますが、私が闘った印象はそうではなかった。

 結局、法廷では平行線の議論が続き、答弁に反論する証拠を集めるため、どんどん不毛な時間が積み重なっていきました。1人で裁判に臨んだ事もあり、裁判中は長いトンネルから抜け出せないような閉塞感で激しく疲弊しました」

 こうした三浦氏の“論点ずらし”は、'23年6月下旬に報道された文春新社長との“深夜密会”にも垣間見えたと、西脇氏が続ける。

「三浦氏が小6の娘を連れて、文春の社長と深夜まで飲んでた是非を問われた際も、似たような節が出ていたように感じます。深夜に子供を連れ回していたのは青少年保護育成条例の問題なのに、それをツイッターでマスコミ批判のように論点をすり替えて、記者の取材がおかしいと誤魔化しているようにも映りました」

 “難敵”を相手に、西脇氏は地道に反論を重ねる。

「三浦氏との裁判と同時並行で、村上氏との離婚調停にも対応しました。村上氏とは和解が成立しましたが、その間も三浦氏へ反論する証拠を集めるため、村上氏と結婚した時の週刊誌の記事や、村上氏との結婚式の写真など、見たくない現実にも向き合わないといけない過程がとてもつらかった。

 三浦氏は、私と村上氏の関係を『卑近な個人的問題』とし、SNSでプライバシーな内容を書いても対して問題はないと一蹴したんです。そこで反論として、我々の結婚を周知していた人が多いと証明するために結婚式の写真を持ち出したら、『せいぜい関係者は10人ぐらい』と難癖をつけてくる始末。そこで別の写真を探すなどして、否応にも過去と向き合わざるを得ない状況が続きました」