目次
Page 1
ー きっかけは東日本大震災「“うつ地獄”に落ちました」 ー 東京にいたら、死んでしまうかもしれない

 12年前の東日本大震災をきっかけに、丸岡いずみさんは、「うつ病」を発症した。しかし、現地を取材した丸岡さんは、「本当に言葉では尽くせないほど大変な方々がたくさんいらっしゃった。キャスターとしてその方々の現状を報道することが使命だと思っていたし、それだけがうつのきっかけになったのではない」と語る。

きっかけは東日本大震災「“うつ地獄”に落ちました」

 実は震災の報道を続けながら、丸岡さんはもう一つの特番も担当していたのだ。英国のウィリアム王子のロイヤルウエディングである。被災地から、お祭り騒ぎのロンドンへ、そしてまた被災地を訪ね、海上自衛隊の護衛艦で行方不明者の捜索に密着取材を行う。幸せの絶頂と、震災という悲劇。気持ちの整理は追いつかなかったが、それでもやるしかない!と心を奮い立たせた。神経は張りつめ、気力は落ちていないと自分では感じていたのだが……。

「ある日突然、眠れなくなったんです。どこでもいつでも寝られるタイプで、それが当然だと思っていたのに。さらには、お腹がすかないから何も食べたくない。下痢も続きました。心が壊れる前に、身体が先に悲鳴を上げていたんですね」

東京にいたら、死んでしまうかもしれない

 大学院時代に、心理学を学んでいた丸岡さんは早々に、これは身体の疲れだけではない、精神的な病気ではないかと気づき、震災から5か月後、大きな決断をする。仕事を一時ストップし、故郷の徳島に帰ったのだ。

「会社に迷惑をかけてしまうという気持ちもありましたが東京にいたら、今の環境のままでいたら、とんでもないことになる。自分の中に死の影すらちらつき出すかもしれないと、不安になりました」

 徳島に帰って初めて精神科を受診したときは、『適応障害』と言われた。しかし、今まで心身共に健康で、薬とは無縁の生活をしてきた丸岡さんは、処方された薬は飲まず、大学院で学んだ認知行動療法で自分で治そうと考えた。知識はプラスになるが、時には思い込みにもつながる。症状はどんどん悪化し、うつ病になっていった。

「ひどいときは、母がヒ素を持っているという妄想まで抱くようになりました。この妄想こそがうつの症状なんだということはわかっていても止まらない。妄想する自分と冷静な自分がいて、何が何だかわからない。自分も他人も信じられない。食べられないので体力も落ちフラフラで、このころが地獄だった」

 そこまで病状が悪化したものの、丸岡さんは約1年で復活する。回復したきっかけはなんだったのか。

「薬をきちんと飲んだんです(笑)。病状が悪化して入院したのですが、入院すると看護師さんの前で飲まなければならない。すると、2週間で食欲が戻り、眠れるようになって、良くなっているんだと実感しました。でも、最終的に寛解できたのは、私の不調を知って、被災地の方々が送ってくださった励ましのお手紙のおかげだと思います」

 家族もまた、心の支えになった。

「父からは『休むことも生きることなんだ』って。頑張り続けて心がポキンと折れそうになっている方に、この言葉を送りたいですね」

 今は、自分の経験が誰かの役に立てばと、さまざまな理由で不登校になってしまった生徒が通う松実高等学園の顧問も務める丸岡さん。

「以前、親しくさせていただいている秋野暢子さんに“いつか、誰かのために何かしたいと思える日がくるよ”と言われたことがあるんです。その時は自分のことで精いっぱいでピンとこなかったのですが、今は私も“もらった恩を返していく”。そんな心境になれました」

 自律神経失調症、適応障害、うつ病へと、どんどん症状が悪化した丸岡さん。心の不調は、王道のケアが大切だというのは、精神科医の奥田弘美先生(精神保健指定医・産業医)。

「不眠、食欲不振に悩まされていたそうですね。これはうつの初期の兆候。自律神経失調症にも同じ症状が現れますが、症状が2週間以上続く場合には、放置せずにかかりつけ医や心療内科や精神科に相談することが悪化させない近道です」

丸岡いずみ●キャスター。1971年徳島県生まれ。日本テレビに報道記者として入社。『情報ライブ ミヤネ屋』『news every.』でキャスターとして活躍。自らの経験からカウンセラーの資格を取得。現在は『情報ライブ ミヤネ屋』のコメンテーターのほか、講演や松実高等学園の顧問を務める。

(取材・文/水口陽子)