「あいつは声がいい」と才能を見抜かれて
神谷が生まれ育ったのは横浜。幼いころ両親は離婚したが、その記憶はないという。
「いつの間にか母親がいなくなって……。おふくろは野毛のバーで働いていたらしく、僕と弟は鶴見にある伯母さんの家に預けられた。その伯母さんが、実はおふくろの母親だと後からわかってね。複雑だからNHKの『ファミリーヒストリー』には怖くて出られない(笑)」
小学5年生のとき、鶴見の家に来た母親から言われた。
「おかあちゃんと一緒に、コッペパンをかじってでも一緒にいたい?」
「うん! 一緒にいたい!!」
即答すると、母は息子2人を引き取り、大田区蒲田に部屋を借りた。
「近所の人たちも、みんないい人でね。友達にも恵まれていたから、子どものころに苦労したという記憶は僕にはないんですよ」
中学を卒業すると、都立の芝商業高等学校に進学。
「仲のよかった友達と同じ私立の高校に行きたかったんだけれども、おふくろは水商売でしょ。私立はお金もかかるし、厳しかった。
それに、卒業したら自分が働いて家族を支えなければならないという思いも強かったんです」
高校では珠算部に入ったものの、同級生からこう声をかけられた。
「演劇部に来ないか?」
部室まで連れて行かれたが、その気はない。隙を見て逃げたが、2学期になって再び誘われた。2度も誘ってくれた理由は、後から知った。
「あいつは声がいい」と、演劇部の顧問が神谷の才能を見抜いていたのだ。
「演劇部に入ったら、卒業生の送別会で演じる劇の主役をいただいたんです。演劇のことは何も知らなかったけれど、先輩たちの演技が素晴らしくて、芝居っておもしろいなと思って珠算部は辞めちゃった」
舞台で演じることへの興味に、自身の進路も揺らいだ。
「卒業したら芸人さんになりたいと思って、大宮デン助さんに弟子入りしようと浅草まで行ったこともありました。だけど、訪ねる根性もなくて(笑)、浅草演芸場の前をウロウロしただけで、すごすごと帰ってきた」
卒業後はレストランに就職。コックの仕事にも興味が湧いた。が、商業高校を出ている神谷は半年で経理に回される。これが自分のやりたい仕事なのか? 疑問を感じながら働くうちに胃下垂を患った。半年ほど養生している間に職場では席がなくなる。居場所を失った神谷は、自分の正直な欲求に突き動かされた。
「やっぱり芝居をやりたくてね。それには芸能界と縁のある仕事がいいと思い、スポーツ新聞の求人欄で探して、懐メロ歌手の大御所・霧島昇さんの付き人をやったこともありました。
だけど、僕は歌手になりたいわけじゃないし、芸能人とのつながりも生まれなかったから、数か月で逃げちゃって(笑)。で、貿易会社に就職して、横浜にある『かに座』というアマチュア劇団に入ったんです」
アマチュア劇団で活動しながら、プロの舞台も見て回った。そのときに衝撃を受けたのが、『劇団俳優小劇場』で演じられていた『カチカチ山』。
「太宰治の『お伽草子』にある原作の文章をそのまま生かした斬新な舞台で、あれを見て僕は“役者になりたい”と本気で思ったんです」