その一因を、乙武さんは「教育にあるのではないか」と分析する。

障がい者の代表を担わされ続けていることは不健全

先進国では、障がいの有無にかかわらずすべての子どもが共に学び合うインクルーシブ教育が一般的です。しかし、日本は特別支援教育を充実させる分離教育に舵を切ってしまったので、障がいのある子どもとない子どもが分かれた環境下で教育を受けることになる。

 もちろん、特別支援教育には優れた点もあるのですが、分離教育を行うことで障がい者に対する“慣れ”が生まれないことも事実です」

 養護学校や特別支援学級ではなく、普通教育を受けて育った乙武さんは、『五体不満足』の中で、自分とごく自然に接する友人たちの姿を描いている。

「目の前で歩いている人が財布を落としたら、声をかけたり、拾ったりすると思います。『声をかけて迷惑がられたらどうしよう?』なんて思いませんよね?(笑) 

 同様に、心のバリアフリーが進んでいる国は、それくらいの感覚で車いすの人を助けている。接している量が圧倒的に違う。あれから25年たっても、日本は障がい者に慣れないままなんですよね」

 こうした現状を変えるべく、2021年の参院選に、乙武さんは「ダイバーシティの実現」という理念を掲げ、東京都選挙区から無所属で立候補した。だが、結果は9位。落選した。

32万票を超える票を獲得したことはありがたいことでした。しかし、この票数が今の東京のダイバーシティの現在地だと思っています。箸にも棒にもかからないテーマではないけれど、かといって当選圏内のテーマにもなりきれない。粘り強く理解を求めていくしかない

 一つ聞いてみたいことがあった。『五体不満足』が大きなインパクトを与えたことで、乙武さんは障がい者を代表する存在になった。だが、25年がたとうとしているにもかかわらず、障がい者の代表=乙武洋匡であり続け、彼を超える存在は出てこない。

「その状況をどうとらえているのか?」と尋ねると、「実は私自身、代表的な存在を担わされ続けていることに対して本当に不健全だなと思っているんです」、そう苦笑いを浮かべる。

ご存じのとおり、私は7年前のスキャンダル報道で一度は社会的な死を迎えました。私の枠が空いたわけですから、私にかわるプレーヤーが出てくることが望ましいと思っていました。『乙武はもうすっこんでろ』、そんな若手が出てこないかなって

 しかし、そうはならなかった。それどころか、相模原障害者施設殺傷事件が発生したことで、マスコミは自粛中の乙武さんにコメントを求めるほどだった。

仲の良いテレビマンから、『乙武さんはキャリアがある。司会者のいじりに対しても、逆に面白おかしく返してくれるのではないかという安心感が、視聴者に生まれている』と指摘され、ハッとしました