無事復帰は果たしたものの、手放しで喜んでばかりもいられない。「何をもって寛解というか」と自身が言うとおり、うつ病は再発しやすく、事実これまで何度も再発を経験してきた。
誰も知らない場所に行きたいと思った
うつ病になりやすいのはきまじめで責任感が強い完璧主義者といわれるが、そこにもぴたりとあてはまる。その自覚はやはりあるようで、「植木等の無責任サラリーマンみたいに“そのうちなんとかなるだろう”なんて言える性格だったらいいんですけどね」と苦笑する。
仕事のオファーも徐々に舞い込み始めたが、「まずは健康に留意しながら、頂いた話に一つひとつきっちり取り組んでいく。それを肝に銘じて誠実にやっていこうと思います」と水道橋博士。そこには芸人としての覚悟がある。
「芸能人という仕事は人目に晒されている。うつ病を公表したとき、自分のことを誰も知らない場所に行きたいと思った。でも生き恥を晒してでも生きていくのが芸人の仕事。人はうつ病を発症した人間だという目で自分のことを見るでしょうけど、これも生き恥だと覚悟しています。
国会議員でうつ病を公表して辞めた人なんていないけど、そこで人生終わりではなく、またこうして社会と関わっているんだという姿を見せる。それを今、床から立ち上がれない人がテレビで見ているかもしれないし、その人がまた立ち上がれるんだという“希望”でありたい。
自分の生きざまが誰かにとってひとつの励みになればと思っています。いや“うつ病=生き恥”なんてネガティブな言葉をあえて使いましたが、精神的な病も社会の日常のひとつとして気軽に再起を受け入れられるようになってほしいです」
取材・文/小野寺悦子 写真提供/水道橋博士