娘の曲がヒットし順調な中週刊誌で“ホスト通い”と記事に
シンシア自身、高校を中退し、大学に憧れがあった。何より大学に行き、世の中を知ることが将来、娘の役に立つと考えた。
「基地で暮らす人たちはミリタリーファミリーといわれ、強い絆で結ばれています。
生活も人間関係もすべて基地内で完結していて、守られている感がある。娘も物心ついたころから彼らの一員として基地で暮らし、アメリカの国旗に向かい胸に手を当てながら育ってきました。離婚後も娘は基地のアメリカンスクールに通ってはいたけれど、それはある意味、夫の厚意でもありました。
だから高校を卒業したとき、もうミリタリーファミリーではないんだ、民間人なんだと自覚してほしかった。大学で世界が広がり、友達も大勢できたようです。もともと娘は友達の多い子で、それはもう尋常ではないくらい。友達とクラブに踊りに行き、帰りにわが家に集まることもよくありました。
慌てたのは二十歳の誕生日のときで、友達を11人引き連れて帰ってきた。みんなにラーメンを食べさせ、ありったけの布団を敷いて、なんとか全員寝られたなと思ったら、私の寝る場所がありません。結局その日は友達の家に泊まりに行きました」
娘は大学生活を謳歌し、仕事もまた順調だった。『恋におちたら』のヒットを機にメジャー路線を進む。
「この時代は音楽番組も多く、クリスタルはクリスマスも正月もない状態でした。商業ベースになって一躍注目され、寝る暇もなく、時には逃げ出したいと思うこともあったでしょう。だけど一切弱音を吐かなかった。
昔も今も娘の弱音を聞いたことはありません。その頑張りは本当に素晴らしいものでした。そんななか《クリスタル・ケイの母親がホストクラブ通い!》と女性週刊誌にスクープされた。こんなことがネタになるのかと驚き、クリスタルに申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。
けれど記事は事実と違い、決してホストクラブに通い詰めていたわけではありません。ホストは私の再婚相手の男性でした」(次回に続く)
<取材・文/小野寺悦子>