ジュリー氏は、手紙の中で「加害者の親族として、やれることが何なのか考え続けております」と明かしていますが、「血のつながり」を訴えることも「情に訴える」ということだと思います。ほとんどマスコミに出ることがなかったジュリー氏が記者会見に出ざるを得ないのは、彼女が喜多川氏の姪だからではなく、代表取締役社長としての責任を問われたからなのです。しかし、意図的かどうかはわかりませんが、ジュリー氏はそこをうまいこと「血のつながり」にすり替えて見せました。
一般にアジア人は血のつながりを重視すると言われています。「犬神家の一族」(角川文庫)など、横溝正史センセイの名探偵・金田一耕助シリーズは、血縁や家制度、そこから生まれる因習に縛られた女たちがやむにやまれぬ事情から、陰惨な殺人に手を染めていくという共通点がありますが、ジュリー氏が「喜多川家の一族」を強調することで、「家の犠牲者だ、かわいそうだ」と見る人もいるのではないでしょうか。
もう一つ、「情に訴える」手段として「身を捨てて、弱い者を守ろうとする」ことがあげられるでしょう。会見中、質問をしたいのに指名されない記者と司会者の間で小競り合いが起きたとき、イノッチは
井ノ原発言は“論点ずらし”と批判の声
「会見は、全国に生放送で伝わっております。小さな子どもたち、自分にも子どもがいて、ジャニーズJr.の子たちも見ています。被害者のみなさんも『自分たちのことで、こんなに揉めているのか』っていうのは、僕は見せたくない。できる限り、ルールを守っていく大人たちの姿を、この会見では見せていきたいと、僕は思っています。どうか、どうか落ち着いてお願いします」
と呼びかけ、ネットで称賛の声が上がったのでした。
井ノ原発言を子どもたちや被害者に寄り添い、身を挺して弱い者を守ったと見る人もいるでしょう。しかし、私はなんだそりゃと思ってしまったのでした。記者と司会者が揉めていたのは、一社につき質問は一つまでということと、挙手しても当ててもらえない人がいたから。つまり、記者会見のやり方に問題があるわけで、子どもには何の関係もありません。
しかし、子どもという“弱き者”を使うと、情にほだされやすい多くの日本人には、称賛されがちです。専門家は井ノ原発言をトーンポリシングという論点ずらしだと批判していましたが、私はこれはイノッチのおはこというか、芸風だと思いました。