「当然ながらまだ日本でもヒットしていたとは言い難い状況ですから、途中でお金が尽きてしまった。そこで日本からお金を送ってもらっていたそうです。しかしそこでお金を送ってくれるはずの人がお金を持ち逃げしてしまった」

 それで借金を作ってしまった……わけではない。現地の人の前で歌い、お金をカンパしてもらうことで窮地を乗り越える。外国の人の恩によって帰国することができた谷村さんとアリスは“世界に恩返しできる日本のプロバンドを作ろうと”誓った。

3000人収容のホールに集まったのは200人

「帰国後も全国を回る日々が続いていましたが、なかなか有名になれず、ヒット曲にも恵まれなかった。そこで当時の所属事務所の代表が、ソウルシンガーの大御所・ジェームズ・ブラウンを日本に呼ぶという勝負に出た。

 しかし、来てくれたはいいものの3000人収容のホールに、200人しか集まらなかった。ジェームズ・ブラウンはすでに大人気シンガーでしたが、日本ではまだR&Bはそれほど知られておらず知名度がなかったという事情もありました。そこで数千万円の借金を負うことに」

 勝負に出たことで作ってしまった借金。そしてそれを返すために……。

「借金返済のためにグアムへのクルージング・ツアーを企画しました。船を借りるために前金を納入しなければならず、そこでまず大金を払い、結果ツアーも成功には至らず……。その後も本場のストリップダンサーを呼ぶ企画なども実行しますが失敗。結果、借金は1億5000万円ほどに膨らむことに」

 偶然か運命か……ここでアリスにとって初めてのヒットといえる曲を発表。'77年リリースの『冬の稲妻』だ。同曲で当時の大人気音楽番組『ザ・ベストテン』で初のランクインを果たした。

「借金を返すため徹底的に作り込んだのが『冬の稲妻』だった。それを期に借金完済、ヒットを連発するバンドとなっていきました」

 昨年11月、“活動50年”を記念したコンサートを開催。そこで“10年続けて活動するという持続可能な努力目標『アリスSDGs』”を宣言。新たな10年の1年目の訃報だった──。