堂々と否定しているのがヤバい人間の証明
こうして加護の起こしてきた騒動を振り返ると、「私はヤバい女じゃない」といった一連のSNSの発言に、呆れてしまう人が多いのも頷けるのではないだろうか。
さて、筆者はカウンセラーとして、LINE公式サービスにて年間1000件ほどの恋愛相談・人生相談を受けているが、はたから見て「ヤバい」と思う言動をしている人間は、自覚がないというケースが非常に多い。
そもそも「ヤバい」行為をきちんと「ヤバい」と認識できていれば、たいていはストッパーがかかって「ヤバい」ことはしないもの。ガチでヤバい人ほど自分のことを常識人で正常だと思い込んでおり、だからこそ平気でヤバい行動ができてしまうという構造である。
つい不安になって、「もしかして自分はヤバい人間なんじゃないか?」と自問自答できるなら、その人はたぶん、そんなにヤバくない。
逆に加護のように、「私はヤバい女じゃない」と堂々と否定できてしまうことこそが、ヤバい人間の証明になってしまっているのだ。
実は、言葉にはたいして“意味”がない
また、こういう場合、往々にして言葉にはたいして“意味”がない。
女性からの恋愛相談を受けていると、相手男性がカネ目当ての結婚詐欺師やカラダ目当てのナンパ師だったというケースも珍しくない。だが、そういった下心のあるクズ男ほど、「好きだよ」「愛してるよ」といった甘い言葉で女性を惑わせるのである。
結婚詐欺師やナンパ師の「愛してる」に意味がないということは、誰しもがわかるはず。
今回の加護の“私はヤバい女じゃない。私はまともです。信じてください”という趣旨の発信は、結婚詐欺師がもう全ての策略が暴かれた後に、悪あがきで言う「俺は詐欺師じゃない。君を愛してる。信じてくれ」という発言に似ている気がしてならない。
厳密に言うと、言葉だけの場合は意味がないということ。きちんと愛情をともなう誠意や責任意識を感じられる行動があったうえでの「愛してる」は、とても意味が大きくなる。その言葉に意味を持たせたいのであれば、きちんと行動で示さなくてはいけないということだ。
つまり、加護が本当に「ヤバい女じゃない」ということを信じてもらいたいのであれば、言葉だけを発信するのではなくて行動で示していかないといけなかった。けれど、残念ながら彼女は行動がついてきていないので、説得力が皆無なのである。