高田文夫からの金言
電波少年時代、特に大変だったのが『電波少年INTERNATIONAL』(海外版スペシャル)だっという。
「もう過酷すぎて元の企画を覚えていないんですけど(笑)、砂漠で遭難した時は死ぬかと思いましたね。脱水症状で唇が真っ白のなか、飛行機やヘリコプターが僕の上空を通過したんですよ。あとから振り返ってみれば、状況を確認するための視察だったらしいのですが、その時は置いてかれたと思って『俺、死んだわ』と……。
最近だと、ドラマのVIVANTで堺雅人さんが砂漠を歩いているシーンがあったんですけど、まああんなもんじゃない(笑)。たまたま電波のディレクターと話す機会があったのですが、彼も『あの時は口が真っ白になってよ、身体のアチコチから砂が出てきて、砂漠なんてスーツじゃ歩けねえしリアルじゃねえよな』って。『いやそこはドラマですから』って返しましたけど(笑)」
過酷な思いをしながらも、今年で芸能生活35周年を迎えた松村。長く芸能界で活躍する裏には、恩人とも言える放送作家の高田文夫の一言があった。
「高田さんは、ぼくを芸能界に入った当初からお世話してくれた方で、今でも30年近くラジオ(『高田文夫のビバリー昼ズ』)でご一緒させてもらってます。その高田さんが、僕によくこう言うんですよ。『こういう世界は、高さも大事だけど、長さも大事なんだよ』って。売れたり有名になるのも大切だけど、コツコツ続けることも大事だっていうことですね。『高さにこだわって萎縮したり、病気になったりする人も多いから、継続することが一番大事だ』と仰っていて、いろいろなことを教えて頂きました」
最近では、プライベートでも健康志向になったという。
「ぼくももう56歳ですから。いまはほぼ毎日ウォーキングとか散歩ですね。近所の1周1キロぐらいの公園を2~3周したり、中野区や杉並区あたりを歩いてロケ地巡りとか神社にお参りに行ったりね。毎日ウォーキングしていると、公園でラジオ体操なんかをやっているメンバーは変わらないですもんね。芸能界だとメンバーの入れ替わりも激しいですけど、ラジオ体操をやっているおばあちゃんとかは10年間顔ぶれが変わっていないですから。自分も息が長く活動していけたらいいですね」