谷村新司さんが10月8日に逝去。74歳だった。
「春に急性腸炎の手術を受け、療養中でした。昨年はアリスのデビュー50周年記念ライブを行い、あと10年は続けると意気込んでいたのですが……」(スポーツ紙記者)
谷村さんは'72年に堀内孝雄、矢沢透とアリスを結成。ソロとして'80年に出した『昴-すばる-』は、中国でカバーされるなど国を越えて愛唱された。
「'71年に当時20代前半の同い年の男性と一緒に芸能事務所を設立しました。アリスとしてデビューしましたが、観客が4人しかいなかったこともあったそうです。一発逆転を狙ってジェームス・ブラウンを招いた来日公演をするも大失敗。当時の金額で1億5000万円の借金を背負ったこともありました」(音楽ライター)
「奥さまは、業界的には怖いマネージャー」
貧乏暮らしの日々に出会ったのが、ブティックで働いていた孝子さん。ひと目惚れし、'77年に結婚する。夫妻と親しかった音楽評論家の湯川れい子さんが振り返る。
「谷村さんとは10年ほど前からのお付き合いですね。初めは谷村さんとの対談がきっかけで、洋楽のことを知りたいと言っていました。谷村さんからアルバムが送られてきて、それについてのアドバイスを求められるなど、努力を怠らない人でした。奥さまの孝子さんからはコンサートに招待されるようになりました。今思えば、谷村さんにとって孝子さんとの出会いは、人生を変える大切な出来事だったのでしょう。結婚されて10年ぐらいたって、奥さまは谷村さんから“君にぜひ手伝ってほしい”と言われて個人事務所の社長になり、マネジメント全般を任せられたみたいですね」
湯川さんが発起人となった3・11のチャリティーイベントには、無理をしてでも出演してくれたという。
「奥さまは、業界的には怖いマネージャーみたいですね(笑)。業界では“おたかさん”と呼ばれていて、ときどき“おたかさんって怖いよね”と話が出るぐらい、仕事に対して妥協を許さないすご腕のマネージャーであり、谷村さんをガードされていた。テレビ局の音楽番組のプロデューサーたちも“おたかさんがうんって言ってくれなきゃ何もできない”っていうほどでしたから(笑)」
働きづめだった谷村さんは、20代のころから自らの命と向き合っていた。
「会社の借金を返すために、がむしゃらに働いたんですね。'78年に過労で倒れ、緊急入院。過密スケジュールがたたり、メニエール病を発症しました。3か月の療養で復帰し、武道館公演を成功させましたが、ずっと身体はボロボロだったようです」(前出・スポーツ紙記者)
'14年に週刊女性は、谷村さんに死生観を聞くインタビューを行っている。
《「人間は死んだらお星さまになる」と言う大人たちの言葉を最初は子どもだましだと思っていたけど、途中から本当のことだと感じるようになったんです。死んだ後も世界はつながっているという感覚でしょうか》
谷村さんにとって、理想の死に際とは……。
《たとえ苦しいときでも誰かがそこにいれば、にこやかに過ごし、何事もなかったかのように逝く……そんな静かな美しい死が理想なんです》
旅立った谷村さんは、美しいお星さまになった。
湯川れい子 1936年東京都生まれ。ジャズ評論家として1960年に執筆開始。1986年度日本女性放送者懇談会賞(現・放送ウーマン賞)を受賞。現在はUSEN放送番組審議会委員長を務め音楽評論家、作詞家として活躍中