デビュー4年目までヒットに恵まれず
小さいころから歌うことが大好きだった石川さん。高校2年生のときにオーディション番組『君こそスターだ!』(フジテレビ系)に出場し、7週勝ち抜いてチャンピオンに輝いた。
「その後、高校を3月に卒業し卒業式の3日後に上京。その2か月後の'78年5月に渡辺プロダクションから『右向け右』でデビューしました」
さらにNHKの人形劇『プリンプリン物語』の声優を務めたり、クイズ番組やバラエティー番組のレギュラーなどで、お茶の間でも知られる存在となった。
一方、本業である歌手としては4年目になっても大きなヒット曲に恵まれず、「次の曲を最後に歌手をやめよう」と思いつめていたという。
「18歳で東京に出てきましたが、周りの友達は四年制大学に進学した人が多かったんです。それで、上京を大反対していた両親に『私を大学と同じ4年間、東京で頑張らせてほしい』と説得し、4年間だけという約束をしました。それから4年がたち、多くの人の心に届く歌を出したいと思ってきましたが、4年目に入っても思うような結果が出せませんでした。区切りをつけるのにはちょうどいい時期だと思い、心の中ではやめる決意をしていました」
石川さんが最後の曲として選んだのが『まちぶせ』だった。荒井由実(現・松任谷由実)さんの作詞・作曲で、'76年に三木聖子さんがリリースしたカバー曲だ。
「いくつか候補の曲の中に『まちぶせ』があったのですが、この曲は東京音楽学院・名古屋校に通っていたときに課題曲として歌っていた曲だったんです。大好きな曲で『この曲だったら最後になっても悔いはない』と思いました。ディレクターさんに『この曲を歌いたい』と自分の意見を伝えたのはそのときが初めてだったので、私の強い意志にみんな驚いていました」