《皆さまには、どうか、心配ではなく、どうぞ、楽観していただければと思います》
今年3月、自身の曲『愛は勝つ』の歌詞になぞらえて、がんを患ったことを公式サイトで綴った歌手のKANさん。11月12日、61歳という若さで亡くなった。
「メッケル憩室がんという珍しい病で、治療のため4月に予定していたツアーを中止するなど、アーティスト活動は休止していましたが、最後まで復帰を諦めることはありませんでした」(スポーツ紙記者)
KANさんといえば、ほとんどの人が名曲『愛は勝つ』を思い浮かべるだろう。
「デビュー4年目の1990年にリリースした楽曲で、200万枚以上を売り上げる驚異のヒットを記録しました。翌年のNHK紅白歌合戦に初出場し、ピアノでの弾き語りを披露。会場もお茶の間も大いに盛り上がりました」(音楽誌ライター、以下同)
早すぎる訃報に、悲しみの声が相次いでいる。
「かつて同じ事務所に所属していたつんく♂さんは、自身のSNSで《KANさんの後輩でよかったと思う事ばかりです》と投稿していました。ふたりは共同で楽曲を手がけたこともあるほど、親交が深かったんです」
保育園の園歌も手がけていた
作曲家としても活躍したKANさんは、人知れず“意外な場所”にも歌を贈っていた。
「親戚のお子さんが通う保育園の園歌を手がけています。その子の送り迎えを手伝っており、保育園を訪れていたKANさんに“開園50周年にあたって記念の歌を作りたい”と園側が相談したところ、快く引き受けてくれたそうです」(保育園関係者、以下同)
1995年の雑誌インタビューで《“だれもやんない、そんなこと”と“オレにしかできないこと”のギリギリのとこでやっていきたいの》と話していたKANさん。園歌にもプライドがこもっていた。
「歌詞には保育園の名前が入っていたのですが、数年後に園の名前が変わってしまって。園側が歌詞の変更をKANさんに相談したところ“もともとの園の名前をイメージして作ったので、それを歌いつないでほしい”と答えたとか。今も歌詞は変更されないまま歌われ続けています」
愛を込めた歌が誰かに届く明日はきっとある─。