東京でバーを開いて娘と私のよりどころに
「ようやくこれぞという物件と出合ったけれど、
『住宅街なのでカラオケはダメ』と言われてしまった。そこをなんとかと大家さんに直接かけあい、どうにか貸してもらえることになりました。
私は本当に飲み屋をやっていけるのか、自問自答もありました。
店は小さく10坪ほどで、『それじゃ売り上げも限られちゃうよ』と知人に心配もされました。『化粧品でも作ってネットで販売したほうがいいんじゃない?』と助言してくれる人もいた。
その都度どうしようか迷ったけれど、結局私にはこれしかないと考えた。クリスタルと私のよりどころとなる場所も必要でした。
物件はビルの1階で、本来なら駐車場になるスペースでした。四方に柱があるだけの吹き抜けの空間で、地面には砂利が敷かれています。何もなかった場所に、壁からカウンターまですべて一からつくり上げていきました。
イメージしたのは『マジック』のようなヨーロピアンテイストのお店です。『マジック』は私が初めてシンガーとして歌ったディスコで、ある意味原点に戻った形でした。できれば調度はビンテージでそろえたかったけれど、とても手が届かなかった。使い込んでいくうちにビンテージになればいい、そんな思いで始めています」
1年間の準備期間を経て、店をオープン。シンシア54歳でスナックのママとなる。
「特に告知をすることなく、ひっそりと店を開きました。店は会員制で、業界関係者の方々や友人知人がまずお祝いに足を運んでくれました。
最初は本当に必死でした。10代のころスナックでアルバイトをしていたものの、ママとなるとまた違う。
どうしたらいいか勝手がわからず、毎日緊張の連続です。ただママになって気持ちは楽になりました。マネージメントの仕事は責任が大きく、ひとつ間違えると大変なことになる。そのプレッシャーから解放された。店は何かあれば私が謝れば済むことで、最悪の場合、店を閉めてしまえばいい。実際に店をオープンしてから、危機を感じたことは何度もあります」(次回に続く)
<取材・文/小野寺悦子>