『戦メリ』公開時からものまねを始める
松村は、山口県田布施町の農家の長男として生まれた。子どものころから目立つことが好きだったといい、ザ・ドリフターズやザ・ハンダースらが出演しているテレビ番組に夢中になった。中学生になると、「クラスメートをものまねで笑わせていた」と振り返る。
「中学生のときは、丸刈りでやせていました。ちょうど、映画『戦場のメリークリスマス』が公開されたころで、友達から『(ビート)たけしさんに似てる』って言われたんです。『メリークリスマス』って言うだけでみんなが笑うものだから、『俺、たけしさんに似てるのかな』って。それからたけしさんのものまねをするようになったんですよね」
現在のものまねレパートリーは150を超える。その原点は、中学時代にある。
『3年B組金八先生』(TBS系)の生徒役・加藤優、欽ちゃんバンドの小西博之といった有名人だけでなく、15人ほどいた学校の先生も、すべてマスターした。
「高校生になると、ものまねをしに学校へ行っていたようなものです」
不良にからまれた際は、先生の声色で抵抗したほどだったという。“芸は身を助ける”とはこのことだ。半面、勉強はものまねほど熱中できず、留年した。だが、こう笑い飛ばす。
「留年したから、同窓会も2回あるんですよね。この前もリモートで1個下の同窓会に参加したんですけど、先生のものまねをしたらみんな喜んでましたね」
ものまねで笑いを取ることに快感を覚えていた松村が、芸能界に憧れを抱くのは自然な流れだった。
「大阪にNSC(吉本総合芸能学院)ができていたので、当初はNSCに行こうと考えていたんです。でも、高校に4年いたことで、自分の中で遠回りの発想みたいなものができてしまった。ちょっと回り道をしてもいいのかなと思って、九州産業大学へ行くことにしました。
何も知らないまま芸能界に入ることに対する、不安みたいなものもありましたね」
在学中、松村は『発表!日本ものまね大賞』(フジテレビ系)に出演し、敢闘賞を獲得する。このとき優勝したのが、後に故・上島竜兵さんと結婚する広川ひかるだった。
「ひかるさんも素人で出場して、その後芸能界デビューします。縁ですよね。縁があって、今の僕がいると思います」
ダチョウ倶楽部は、松村にとって直属の先輩にあたり、その後、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)などで苦楽を共にする戦友となる。
敢闘賞を受賞した松村のもとにも、芸能プロダクションから電話がかかってきた。だが、このときも遠回りの発想から断った。しかし、先の松村の言葉で言えば、「縁」がその才能を放っておかなかった。
「フジテレビ系列局の『テレビ西日本』でケーブルさばきのバイトをしていたのですが、たまたま片岡鶴太郎さんにお会いする機会がありました。ものまね大賞のときに披露したものまねを褒めていただいて、スカウトではないですが、鶴太郎さんが何かと気にかけてくれて。それで鶴太郎さんが所属されていた太田プロに入ることを決めました」