恩人の高田文夫に“笑撃”を与えた出会い
下積み時代に、ダチョウ倶楽部、故・春一番さん、爆笑問題ら多くの仲間と出会ったと目を細める。ショーパブでバイトをしながら芸を磨いていたが、思うような結果が得られず悶々とした日々を過ごしていたと明かす。
「田舎に帰ればよかったかなとか、余計な世界に入っちゃったのかなとか思いましたよね。でも、芸人仲間に支えてもらってありがたかったです」
この時代、松村は「恩人の1人」と邂逅する。
「私の独演会の打ち上げを、新宿・紀伊國屋ホールの地下の居酒屋でしていたんです。私と山藤章二先生とイッセー尾形らで飲んでいたら、この日の前座を務めていた爆笑問題の太田(光)が、『先生、ちょっと見てもらいたいやつがいるんです』と話しかけてきた」
放送作家の高田文夫さんは、そう当時のことを振り返る。
「すると、いちばん奥から私の目だけを見て突進してきて、たけしのあの口調で、『高田さんよォ、オイラもさ』といきなりしゃべり出した」
不意打ちよろしく、突然話しかけられた高田さんは、「本当にびっくり。あのものまねでKOされた」と白旗をあげた。
「何しろ松村以前のものまねは、『こんばんは、森進一です』とか『三波春夫でございます』という定型(形)だけだったのが、フリートークをまねるという革命を起こした。本当に衝撃的でした」(高田さん)
この“笑撃”の出会いを機に、松村と高田さんの交流は始まった。始まるどころか、気がつくと高田さんのものまねまで始めていた。
「笑っているときの私が、あんなに手をたたいて『バウバウ』と言っているとは思わなかった。『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)のころから、私の笑いがあいつの耳には、バウバウと聞こえていたらしい」(高田さん)
「バウバウ」によって、松村は人気者の仲間入りを果たすだけでなく、憧れのビートたけしとも数々の番組で共演するようになる。
松村がたけしを「松村!」と呼ぶと、“本人”が「おまえが松村だろ!」と返す。「おまえはアドリブが弱いんだから余計なことをするな!」とツッコまれると、松村は頭をかき、逃げるように「バウバウ、たけちゃんさぁ~」と高田さんのものまねに早変わりする。それを見たたけしが「こいつバカだなぁ」という表情で喜々として笑う。'90年代前半、この光景に笑いの的を射抜かれたテレビっ子は多いはずだ。
「鶴太郎さんが、本番になったら先輩も後輩もないんだよって教えてくれたんです。それで思い切ってたけしさんの前でも、ものまねができたところがあります。ただ、一度収録中に鶴太郎さんの首を絞めたことがあって、『先輩も後輩もないんだよ』って言ってた鶴太郎さんに『やりすぎだ』と怒られましたけどね(笑)」