理不尽に抗体ができていたからできた取材
1992年7月、バラエティー番組史に残る伝説的な番組が始まった。『進め!電波少年』─。MCとして、タレントの松本明子とともに松村に白羽の矢が立った。
「何をやるかまったく聞かされないまま、スタートした感じです。だけど、集まったスタッフの顔ぶれを見ると、野武士軍団のような物々しさがありました。普通の番組じゃないんだろうなと思いましたね」
その予感は的中した。同番組は事前許可(アポイント)を取らない、通称“アポなし”ロケを敢行するむちゃくちゃな企画が話題を呼び、人気番組へと躍り出る。初対面の高田さんに、アポなしでたけしものまねを敢行したことを考えれば、適任だったのかもしれない。番組では、渋谷の不良グループ“チーマー”に体当たり取材を行うなど、一触即発の臨場感が漂っていた。だが、当の本人はどこ吹く風だ。
「高校時代に比べれば何てことなかったです。不良から因縁をつけられるのはしょっちゅうだし、気がつくと不良が僕の弁当を勝手に食べてたり。ごはんが盗まれるって、僕の高校だけ戦時中かと思いましたよ。そういう理不尽な経験……高校時代にワクチンを打っているようなものですから、抗体ができていたんでしょうね」
ただ、海外ロケは「キツかった」と天を仰ぐ。
「『豪邸のプールで泳ぎたい! ~アラブ首長国連邦編~』というロケで砂漠に行ったんですけど、豪邸へ向かう途中の砂漠で遭難して……。脱水症状にもなって、本当に死ぬかと思いました。
『VIVANT』(TBS系)で堺雅人さんが砂漠を歩いているシーンがありましたけど、あんな余裕はないですね。一緒にロケをしていたディレクターも、『砂漠はスーツじゃ歩けねえし、リアルじゃねえよな』って。ドラマだからそりゃそうですよね」
共に砂漠で遭難した当時のディレクター、〆谷浩斗さんは、松村がロケをするとき、必ず横でカメラを構えていた。松村さんから「鬼」と呼ばれた〆谷さんが、懐かしそうに回想する。
「砂漠をさまよっていると、僕のほうを向いてボソッと『おうちに帰して』と言ったんです。何も計算していない素のひと言に、僕はカメラで撮りながら笑っちゃいました。松村くんは、ピュアなんです」
芸人であれば、あえてキレてみたり、誇張したリアクションをしたりすることで、笑いを生み出すこともできる。だが、長年コンビを組んだ〆谷さんは、「変な計算をしない。言われたことを素直に一生懸命頑張る」ことが、他の芸人にはない松村のオリジナリティーだと語る。
「自分がMCを務める新しい番組が始まるわけですから、普通だったら気負いややりたいことがあると思います。ところが、彼はそういうのがまったくなかった(笑)。もしかしたら、われわれは最高のおもちゃを手に入れたのかもしれないなって思いつつ、彼のそうした真っ白な感覚に驚きました」(〆谷さん)
松村が笑いながら説明する。
「だって、何にも教えてくれないし、打ち合わせもないんですから! やるしかないじゃないですか」
あえて何も伝えなかった。
「上司の(プロデューサーを務めた)土屋敏男も言っていましたが、『打ち合わせをすると彼のよさが消える』と。何も知らない状態で放り込まれることで、松村くんの爆発力は生まれる」(〆谷さん)
ピュアだからこそなせるワザ。その純粋さに、時に悩まされることもあったと笑う。
「彼自身が敵愾心を抱いたり、偏見を持ったりしない人間だからなのか、外国へロケに行っても危害を加えられるようなことは一度もなかった。それ自体はいいことなんですが、終始、平和な雰囲気のまま終わると、撮れ高が少ない(苦笑)」(〆谷さん)
“クリントン大統領に栗きんとんを渡す”という企画があった。松村さんは、クリントン大統領(当時)と遭遇するため、彼が早朝ランニングをするという公園で野宿をし、一夜を明かすことになった。
「僕は遠目からカメラで松村君をとらえていた。何かあったらすぐに駆けつけられるように注意深く撮影していたら、ホームレスの男性が松村くんが寝ているベンチに近寄ってきたんです」(〆谷さん)
取られるようなものは何もない。だが、何のために寄ってきたのかわからない。〆谷さんは固唾をのんで見守った。
「自分が持っていた毛布を松村くんに掛けたんですよ。奇跡的な画が撮れたことに大興奮する一方で、彼の敵をつくらない力というか、愛される力に驚いた。どこまでその力が通用するのかと思って、海外動物対決シリーズをやるようになったんですよね」(〆谷さん)
アフリカ・ルワンダのジャングルの奥地では、怪力のマウンテンゴリラに大接近した。インドネシア・リンチャ島ではコモドドラゴンに追い回された。破天荒すぎる企画の数々は、松村の無警戒さともいえる誰からも好かれる力なくして、成立しなかった。
「あのときつらかったな、あれは嫌だったなと感じるはずなのに、松村くんはVTRができあがって、お客さんが爆笑している姿を見ると、うれしくてたまらなかったみたいです。お客さんの笑いのために、あれだけ一生懸命になれる。今ではほとんどいなくなってしまった本当に芸人くさい芸人だと思います」(〆谷さん)