しかし夏休みが明け、学業に戻るとだんだん胸に隙間風が。
「何がこんなに寂しいんだろう? 予算のないインディペンデント映画なので、全然システマチックではなかったわけです。女優さんが衣装さんもやったり、助監督が僕の身なりを整えてくれたり。もう家族みたいなもので、お祭りだったんですよね。そのお祭りに戻りたかった。
だから(寺山が主宰する)『演劇実験室◎天井棧敷』(後継劇団・演劇実験室◎万有引力)に出入りするようになって。当時、寺山さんはすでにご病気だったので、ほとんど会話はしていません。20歳で映画『さらば箱舟』('84年)でご一緒して、すぐ亡くなられたので。でも、その5年間で僕が吸収したものはものすごく大きいですね」
王道エンタメ作品にも出演した理由
映画『私をスキーに連れてって』('87年)でブレイク。以後、ドラマで大活躍。『君の瞳をタイホする!』『君が嘘をついた』(ともに'88年)、『世界で一番君が好き!』('90年)、『あなただけ見えない』('92年)、『チャンス!』('93年)、『この世の果て』('94年)……。
三上出演のトレンディードラマに夢中になった女性は多いだろう。しかし、寺山に俳優としての命を吹き込まれた背景を思うと意外な気もする。
「いまだにわかんないんですよね、“トレンディードラマ”というカテゴリーの定義が(笑)。男女の恋愛だというなら『あなただけ見えない』なんて全然違うし。女性人格を含めた三重人格の男の話ですからね。『この世の果て』は薬物中毒の男が、妊娠した女の子の腹を蹴る話ですし」
ただ、王道エンタメ作品への出演は母親からの言葉が大きかったという。
「もともとは売れない女優だったんです。僕が21歳、映画『戦場のメリークリスマス』('83年)に端役で出演してもまだ俳優の道に進むか迷っていたときに、母親が亡くなりました。その間際、病院で“役者をやってもいいけど、性格俳優にはなってほしくないわ”と言われたんですね。
そのときは意味がわからなかったんですが、“寺山さんが作り出すような通な映画もいいけど、多くの人に名前を知ってもらいなさいよ”ということかなと思って。そこからのドラマ出演は自然の流れでした。でも、自分には寺山の門下という自負もある。アーティスティックなインディペンデントの映画もやりつつ、メインストリームもやっていった要因はそこにありますね」
俳優・三上博史の志とその歩みに、寺山も三上の母親も、きっと天国で目尻を下げているはずだ。
寺山修司没後40年記念/紀伊國屋ホール開場60周年記念公演『三上博史 歌劇―私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎない―』
'24年1月9日~14日。東京・紀伊國屋ホールにて。全席指定8800円(税込み)。前売りチケット好評につき、アーカイブ配信決定 https://www.mikami-kageki.com/