とはいえ、自分でできるとは思っていなかったというが、次第にこんなことが。
「マーティンはカタコトで“私の目を見なさい”しか直接相手に言わない。それ以外は、相手に伝わっているのは通訳である僕の言葉なんですよね。マーティンが“ワタシノメヲミナサイ”って言ったら、その後、僕がマーティンっぽく少したどたどしい日本語で“コンドハ、ウエノライトヲミナサイ”って言って。そのうちだんだんふつうの日本語に戻していく(笑)。
僕は彼に催眠術を教わったわけではなく、僕なりに“たぶん日本語だったらこう持っていくんじゃないか”と考えて、マーティンの様子を見て“ここはこういう効果があるんだな”とか“ここはこのテンポなんだな、でもそのままだと変だからこう言い換えなきゃな”とか、相手への伝え方を僕なりに工夫してやっていました。そうしているうちに、あるテレビ誌のライターに“あれって、実はジョイさんが催眠が堪能だからできてる話じゃないの”みたいなことを書かれるようになって。でも、もちろんそれは番組上タブーですから、僕としては“もちろんマーティンあってのショーですよ”というスタンスを取っていました」
催眠術を学ぶため、再び渡米
催眠のスキルを知らず知らずのうちに肌で身につけていったが、番組は第7弾、8弾と続いていく中、ジョイはキャリアの転機を迎えた。
「日本のテレビ番組って、視聴率を取り始めるとだんだん派手でえげつない内容になっていくんですよね。そうなると、催眠にかかりたがらない人たちが増えてきたりとか、あの番組出たら何かやらされて怖いみたいな風潮になっていったり。一時期は柳葉敏郎さんや中森明菜さんまで出るような番組だったんですが、内容がエスカレートしていくにつれて僕もだんだん肩身が狭くなっていきました。このままやっていても将来はないなと思い、後任の通訳を育てて立たせる形で降板させてもらうことに。マーティンにも許可をもらって“催眠術を自分でやってみたいんだけど”と話したら、“ジョイならできるよ、やってごらん”って言ってくれたんです」
催眠術の道に進むことを決め、再びアメリカへ。その背景にはこんな出来事が。
「中途半端は嫌だなと思って、1回しっかりと催眠というものを勉強したいなと思いました。例えば、てんかん持ちの人が催眠のステージに上がったとき、痙攣を起こしてしまう場合があるから、気をつけなきゃいけないことがいくつかある……というような話をマーティンから聞いていたので、これはちゃんと勉強しておいたほうがいいなと。それで、ニューヨークにいる知り合いのつてをたどって、セラピストの方について勉強することになりました」
日米では、“催眠”と言うものに対する社会のスタンスがまるで異なると話す。
「やっぱり、日本人にとっての催眠術ってオカルトな印象があって、催眠療法もあまり理解されていないし、テレビに出るといまだに“ヤラセだ”とばかり言われます。逆上がりができなかった子を一瞬にしてできるようにさせても、アスリートの記録を伸ばしても、“最初からできたんじゃないの”とか。僕はもちろんヤラセは一度もしたことはありませんが、“本当なの?”っていうそのクエスチョンも含めて、エンターテイメントなのかなと思っていますけどね」
一方、アメリカはというと……。
「催眠療法のライセンスをニューヨークでいただいたときに、周りから“これでお前は億万長者だな”って言われたんです。アメリカだと、セラピストの中でもヒプノセラピスト(催眠療法士)は専門的な技術を持っているので1段上の存在なんですよ。アメリカでは当時、喫煙者がタバコをやめると休憩時間が短くなるということもあって、タバコをやめただけで給料が上がる時代でした。だから喫煙者は、お金払ってでもタバコをやめたい。そして、禁煙するのにはヒプノセラピーが一番効くと。
催眠療法というものが社会的に認められていて、需要もしっかりあって、弁護士のように企業が顧問で催眠療法士を抱えていることも珍しくありません。ニューヨークで知り合ったセラピストたちは、いわゆる弁護士事務所みたいに事務所に所属していて、それぞれスポーツ系が得意な人や教育を専門に扱うセラピストとか、弁護士でいう民事・刑事みたいに得意分野があるんです」