長男は集落にとって久しぶりの赤ちゃんだった
「エセっぽいでしょ。でも、そうやって地元に溶け込む努力(笑)」
移住したとき、長男の和楽は集落にとって久しぶりの赤ちゃんだった。近隣の人たちから「子どもの声が聞こえるのはうれしい」と歓迎され、スーさんとあゆみんは地域の担い手として期待され、廣川家は順調になじんでいく。
ようやく自分の居場所を見つけたスーさん。
「世間の仕事や常識に違和感を覚えてなじみきれず、いつしか世界を放浪するようになった。自分探しの長い旅をしていたなぁ。今思えば、自分なんかには出会えず、自分なくしの旅やったけど(笑)。運命とか人生の意義とかを知る必要はないんよね。ただその瞬間を穏やかに激しく慎ましく生きていれば、大きく踏み外すことはないと思う」
和楽が指を切断!? スーさんは……
スーさんははり師と柔道整復師の国家資格を持つ、東洋医学のプロ。
「仕事としては稼働してないけど、家族の健康管理には役に立ってるかなぁ」
和楽は小学2年生のころ、鉛筆削り用のナイフで、誤って右手の人さし指の第1関節を切ったことがある。それも骨が見えるほどぱっくりと深く。
いつもは病院とは距離を置いている廣川家だが、このときばかりは違った。「ここまで傷が深いと感染症と運動障害の後遺症の危険性が」と考えたスーさんは、和楽を連れ、急ぎ近所の整形外科へ。そこでは対応できず、直ちに大きな病院に移動。
待っている少しの時間も、スーさんは切れた指に手のひらを当てて祈り続けていた。
「らく(和楽)の身体の中の細胞に、指はつながる、指はつながるとお祈りをして、切れる前の状態をイメージした。たな添え、といわれる昔ながらの治療術なんやけど、だいたいのケガは、うちではこの祈りによる治療で対処してる」
診察の結果、子ども特有のやわらかい骨と靭帯、神経が切れていることが判明し、急きょ、縫合手術を行うことに。悩んだのは、手術の際の麻酔の選択。局所麻酔か全身麻酔か。スーさんは悩んだ結果、
「局所麻酔だと靭帯や神経をつなぐ細かい処置を大急ぎでやらなくてはならず、らくの場合は時間をかけた丁寧な処置が必要ということで、全身麻酔に」
病院自体が初体験だった和楽が、手術するまで、そして、術後もほとんど痛がらず、落ち着いていたのは、スーさんのたな添えのおかげ。
「なるべく病院に関わらないように生きてきたけど、こうした緊急時にきちんと判断できるように、日頃から知識を身につけておく必要があるなぁって。私だけだったら、オロオロしていたと思う」
とあゆみんは振り返る。術後の治療は、3日分の抗生剤をもらっただけにもかかわらず、驚異の早さで回復。和楽はスーさんと一緒に、毎日リハビリ。毎日たな添え。現在中学2年生の和楽の指はどこも不具合はなく、完璧に治っている。
「祈ることは、鍼よりも人間の自然治癒力を引き出すのかもしれないね」。
その際、周囲の人たちの、祈りの力を信じる心も重要。
「時短が好きな人が多いでしょう。でも僕は、今すぐにどうにかしたいのではなく、根本を見つめ、将来的な健康を手に入れることを考えたい。そのために何を受け入れ、何を切り捨てるか、その判断はとても大切だと思う」
スーさんがお茶の間から小瓶を持ってきた。ふたを開けるとちょっと生臭い。
「自家製万能油。生け捕りにしたムカデを菜種油に漬けてる」とニヤリ。スズメバチやムカデに刺されたときすぐに塗ると、痛み、かゆみ、腫れを軽減する、地元の人に教えてもらった昔ながらの万能油だ。「今では作る人はほとんどいなくて、ご近所さんがうちにもらいにくる(笑)」。