カメラマンに「ウチ泊まってく?」

 翌日、朝からコーヒーを飲み、薪を割り、日増しに強くなる陽に目を細めていると、坂の下から男が登ってきた。昨日の記者のNさんだ。詳細は割愛するが、とにかく“後日、N記者がインタビューをし、私は受ける”運びになった。しかし、インタビュー回の前号で「速報!」のように東出の写真だけ掲載したいと。そのためにカメラマンを一人置いていきたいと言う。なるほど。う〜ん、まぁ、しょうがない。カメラマンに声をかける。

「今日泊まれるの?」

「はい、僕は……。なんか突然でスミマセン」

 直撃してきたカメラマンに突然でスミマセンと謝られるとは思わなかった。名前を聞いた。「ワタナベっていいます」「年は?」私のいくつか下だった。「宿は?」「あぁ、どっか取ります」そんな遠慮がちに。どっかって言ったって、うちの周りに宿なんてない。ビジネスホテルだって、最寄り駅まで車で数十分、そこから県庁所在地に数駅走らないとないだろう。

「宿なんてないから、ウチ泊まってく?」

「え!? いや、大丈夫っすよ」

 顔に“怪訝”と書いてあった。これが日本昔話なら、立ち寄った山小屋の主人が妖怪の山姥だって気づいているのに、その山姥から今晩泊まれと提案されているに等しい。「まぁ風呂入ってから考えよう」、車で帰る記者さんを見送り、ナベちゃんに声をかける。「誰かに心配されない?」「一応、電波つながるとこ行ったら、奥さんに状況説明します」温泉でポツポツ語り合い、帰宅し焚き火で飯を作りながら酒を飲む。

「変なことになったね」「はい」「鹿汁作ったら飲む?」「あ、自分いらないです」「鹿刺しは? ニンニク生姜醤油で。生肉だから自己責任だけど」「いや、自分、大丈夫っす!」「野生肉食ったことないから癖があると思ってるの? 大丈夫だよ、絶対にうまいから」「……いや、そうじゃなくて! 自分、大豆アレルギーなんすよ。だから、味噌とか醤油ダメで」「……そりゃあキチぃな」

 その晩は一緒に食べられるメニューを考えてそれを作り、そこそこに飲んで床についた。明日は久しぶりに撮影だから、飲みすぎないようにしないと、ナベちゃんのためにも。と思うくらいには、打ち解け始めていた。

「早朝から狩猟に繰り出して疲れたので朝食をとりました。前日に生地から作ったインドの伝統料理・チャパティとトマトの煮込み料理を、寒い中ふたりで凍えながらかき込みました」(ナベちゃん)
「早朝から狩猟に繰り出して疲れたので朝食をとりました。前日に生地から作ったインドの伝統料理・チャパティとトマトの煮込み料理を、寒い中ふたりで凍えながらかき込みました」(ナベちゃん)
【写真】山中で撃った鹿の前に座り…真剣な表情を浮かべる東出がワイルドすぎる

 山の朝は早い。肉体労働もするから朝からしっかり食べたい。まな板にはひとカケラの猪がのっていた。「小雨も降ってて少し底冷えするから、身体があったまるフォーを作ろう!」と献立を提案した。アレルギーも大丈夫! 家から数分のところに自生するミントを摘みに行く、後ろでカメラを構えるナベちゃんの声が飛ぶ。「東出さん! もうちょっと斜めで!」「こうっ!?」ハーブをちぎるだけなのにポージングを要求されヤンヤの騒ぎである。ふたりでデジカメを覗き込む。

「編集部からスクープっぽく撮ってこいって言われたんすよねぇ」

「え、でもそれ無理じゃね? だってこの距離で撮られて、俺が気づいてないってないじゃん!」

 編集部の意向と現場の声に齟齬が生まれる。「激写っ! みたいには撮れないって! 状況が状況なんだからっ! そう編集部に伝えてっ!」モノ作りを舐められていると感じると突然発火する私の“クリエイター魂モドキ”に火がついた。「いや、マジそうっすよねー! 現場のことわかってないんすよ!」ナベちゃんの語気にも熱がこもる。

 こうなるともうお笑いである。「いい写真だな〜っての撮って送りつけちゃえば!? それしか撮ってねぇって言って!」ナベちゃんは会社思いでもある。「まぁできるだけ両方撮ろうと思うんすけど、良い写真は撮りたいっす!」良い写真と言い切る溌剌とした表情を見て、あぁこの子は写真が好きなんだなぁ。と思った。

 その後、我が家を訪ねた近所のオッチャンは、ナベちゃんを紹介すると彼の手を取って喜んだ。「でっくんの写真撮りにきたの! 仕事か! そりゃ良かった!」日がな一日薪割りばっかりしては、たまに出てくる芋虫を摘み上げて「こいつ食えるんですよ!」と瞳を輝かせる私を平時から見ているオッチャンは「こいつはこれで大丈夫なんだろうか」と口には出さないまでも心配してくれていたのだろう。

 一連の経緯を懇切丁寧に説明するには10分はかかると予想した私は、まぁいっか。と、紫煙を呑み込んだ。1泊2日の撮影を終えたナベちゃんを駅まで送る。車から降り立ち改札に向かうナベちゃんは振り返り、冗談半分のような顔で「また来ます」とさりげなく言った。「馬鹿野郎」と笑い返したが、私も内心ではまた来るんだろうなぁ。と思っていた。それくらいには人間同士の情を育んでいた。