「女優という呼び方に誇りを持っている人にとっては、むしろ奪われてしまう感覚なのかもしれません。この立場からみれば、これこそ差別じゃないの?ということになってしまうわけです」
もともと俳優という仕事は、男性がやるものだったという歴史がある。その中で女性が勝ち取ってきた証しとして、女優という言葉があるともいえるのだが─。
「肩書きは“記号”」
「そう考える人がいる一方で、“俳優”という枠の中に入れない仲間外れの存在を示す言葉、と感じてしまう人もいるから難しいんです(笑)。本来、文化というものはそういった歴史の中で積み重なってきているもので、それを否定することは、ある意味、多様性の否定になっているのでは、と僕は思ってしまうのですが……」
“みんなが平等”と、すべてを一緒にしてしまおうというのが最近のポリコレやコンプライアンスの流れ、としながら、宝泉氏はこう続ける。
「以前、歌人であり劇作家の寺山修司が“職業は寺山修司”と自分の肩書を称しました。名前や肩書というのはその人を表す“記号”なので、本来ひとくくりにすることはできないんです。それを平均化した記号にまとめることに、違和感を感じますね」
それでも“平均化”が進んでいく社会。女優・俳優問題はどうなっていくのだろう。
「50年後、100年後には“昔は女性の俳優を女優と呼んでいた”なんて振り返る時代になるのでしょう。ただ、川上さんや土屋さんのように女優という呼称を肯定している人たちもいるので、その人たちの声をつぶすようなことがあってはいけないと思います」