もう20歳になっていたが、アルコール飲料を断り、ウーロン茶を飲んでいる姿を見た時は「日本ハムのチームメートたちの言う通りだ」と、自然とうれしくなった。もう既にスーパースターだったが、その笑顔はどこにでもいる20歳の青年だった。
同じ12月には、翌2015年の元日紙面用の特別企画として、鎌ケ谷の勇翔寮で大谷と当時スポニチ評論家だった石井一久氏との対談が実現し、私が司会進行を務めたこともあった。
2人の口調が熱を帯びたのは、「ピーク」についての考え方だった。
石井氏:「僕がメジャーに行ったのは28歳だけど、自分の中ではタイミングがひとつ遅かった。ピークってそこじゃないでしょ? 多分、もうちょっと前。大谷君は自分のピークはどう考える?」。
大谷:「肉体的にはやっぱり26歳とか27歳なのかなと。でも、技術とかみ合うという意味では27歳から30歳くらいかと感じています」。
後に大谷は27歳の2021年、29歳の2023年に史上初めて2度の満票でア・リーグMVPを獲得。大谷がいかに自己分析能力にも長たけているかが分かる。
プロ野球担当1年目、大谷担当1年目として激動の2014年は、こうしてあっという間に終わりを迎えた。
シーズンの目標を表す漢字は「翔」
年が明けて2015年1月5日。日本ハム入団3年目を迎える大谷の鎌ケ谷自主トレ公開日。大谷はシーズンの目標を表す漢字として、自身の名前「翔平」の1文字でもある「翔」を選んだ。
「羊に羽を付けて"翔"にしました。ひつじ年の今年に羽ばたくという意味。去年の成績を超えたい意味もあるし、自分が納得できる年にしたい」
これまで大谷は2年連続で「勝てる投手になりたい。チームに勝ちをつけたいという意味」で「勝」を選んできた。2014年はプロ野球史上初の同一シーズンでの「2桁勝利&2桁本塁打」を達成。2015年は「15勝&打率3割」というさらなる目標を設定し、その先にチームのリーグ制覇を見据えていた。
2014年はソフトバンクとのCSファイナルステージで、あと1勝で日本シリーズ進出を逃しただけに、「話を聞くと面白そうなので、"ビールかけ"をやってみたい」と、秋に味わう勝利の美酒を思い描いた。
1月8日には"大谷らしい"出来事があった。
新年初ブルペンの時期が注目される中、大谷は報道陣に「ブルペン入りはいつにするか決めていません」と話した。だが、打撃練習を終えて合宿所に戻った約1時間後に再び室内練習場に姿を現し、ブルペン投球を始めた。