佳子さまたちの教育方針
さらに、佳子さまたちの教育方針について聞かれた秋篠宮さまが、「これは以前にもお話ししたかと思いますが、教育方針、そう毎年、ころころ変わるものではありませんので」と答え始めると記者たちから思わず笑いが起きた。
秋篠宮さまは続けて、「私としては今までどおりそれぞれが持っている個性、それぞれがやりたいこと、やってみたいことなどをできるだけ伸ばしていってあげることができればと思っております。ただ、もちろんその中で、やはり、社会生活をする中で守らないといけないことというのがありますので、そのあたりはきっちりと教えることができればと思っております」と、これまでの会見とほぼ同じ内容を繰り返した。
遡って1991年10月23日に眞子さんが生まれ、翌'92年秋には、《自然体で伸び伸びとした子になってほしいと思います》と秋篠宮さまは綴っている。
'93年11月の誕生日会見で記者から眞子さんの教育方針を尋ねられた際には「まあ、私としては伸び伸びと元気に育ってくれればいいと、そういうふうに感じております」と語り、紀子さまは「宮さまが先ほどおっしゃったことの他に、そうでございますね(略)、生活する上での基本的な習慣や、また、大事な事柄を発達の段階に応じて学んでいってほしいと思っております」と、母親としての視点から付け加えた。
さらに佳子さまが生まれた翌'95年11月の記者会見では「私はおのおのの持っている個性をできるだけ自由に伸ばせるような環境であればいいというふうに思っています」(秋篠宮さま)、「教育方針ということを日常生活の中で娘たちに接するときに気をつけていることとしてとらえるならば、2人それぞれの年齢に応じた基本的な生活習慣、大事な事柄、そして感性を大切にしていけるよう努めております」(紀子さま)と話している。
佳子さまの祖父、上皇さまは幼いころから両親や姉、弟、妹たちと離れた場所で暮らし、多くの側近たちに囲まれた生活を送った。肉親たちと共に暮らす、温もりのある家庭がどれほど恋しかったのかを、上皇さまは会見などでしばしば、口にしている。1983年12月20日、50歳を前にした記者会見で「この25年間(筆者注・結婚後の期間)を振り返ると、やはり絶対にそれまで味わえなかった心の安らぎを得られたと思います。子どもたちの成長は、自分自身を顧みる機会をつくってくれていると感じています」「それまで、1人でしたから、心の安らぎというか安定はありませんでした」(『新天皇家の自画像』文春文庫)と述べている。