昔だったら導師とかシャーマン
妻でパーカッション奏者の和嘉子さんが笑いながら、
「お医者さんって、昔だったら導師とかシャーマンとかいわれていたような人。だから医学はどこか不思議な力とつながっているようにも思えます。スピリチュアル全開でやりすぎると確かに怪しく見えるので(笑)、振り幅に気をつけてとは思うけど、私はあまり気にしていませんね」
当の本人は、そんな書評を一向に意に介さない。誰が何を言おうと信じるところを突き進み、訴えたいことを本にする。この医師も抱えるアスペルガー症候群の特徴のひとつが、「周りの目を気にすることなく行動する」だからだろうか。
今ではあのアインシュタインやスティーブ・ジョブズ、織田信長もアスペルガーだったといわれている。思えば時代をガラッと変える改革者は、いつもこうした「空気を読まない人たち」だ。
西脇医師がこう言う。
「アスペルガーがいなければ、世界は今でも石器時代のままなはず。“木と木をこすり合わせたら燃え出すかも”“この金属とこの金属を混ぜ合わせたらもっと強い金属になるかも”と、空気を読まず突っ走れた者たちがいればこそ、世界はここまで進化できた。だからわれわれアスペルガーの発達障がいを持つものは、自信を持って“少し変わったデキる人”を目指すべき」と─。
北海道の岩見沢市で姉2人、兄1人の4人きょうだいの末っ子として生まれた西脇医師は、子どものころから“表情の硬い、ちょっと変わった子”だったという。
「小さいころから人に頭を触られるのが嫌で、理髪店に行かず長い髪をしていました。ピンクの服が好きで、その色ばかり着ていたから、いつも女の子と間違えられていました。幼稚園は先生や教室の雰囲気が嫌で頑として行かず、登園拒否をしています」(西脇医師、以下同)
酒、タバコから食料まで何でも商う、今でいうコンビニのような店を営んでいた両親は、精神医療の専門家である西脇医師いわく“母親は典型的なADHD(注意欠如・多動性障がい)で、父親も典型的なアスペルガー障がい”。
思ったことをなんでも口にしてしまう母と、そんな母に何ひとつ言い返すこともなく、黙々とわが道を行く父。
「僕は毎朝、母親の怒鳴り声で目を覚ましていました」
小学校に上がる前には、頓着なく本音が出てしまう母親から唐突に“本当は、おまえは堕ろすはずだった”と告げられたという。
「“なのに、なんで産んだの?”と尋ねたら、“占いで見てもらったら、私(母親)のことを助けるようになるから産んだほうがいいと言われた”と。まぁ、でも生まれることができたわけだから、私はツイてましたよね(笑)」
出生にもどこか死の影が付きまとう。62年前、当時の北海道では自宅で助産師に取り上げられることが少なくなかった。西脇医師を身ごもっていた母親が産気づいたちょうどその日、きょうだいたちは、近所に来ていたサーカスに連れていってもらえることになっていた。祖母からの“それじゃあ子どもたちは私がサーカスに連れていく”との提案で、母親は1人産院に行くことに。
「それで僕は助かったんです。臍帯が絡まった仮死状態で、それも帝王切開で生まれたから。もし自宅での出産だったらアウトでした」
生まれた直後も看護師さんの手違いで窒息死寸前になり、小学校4年のときには車に轢かれて九死に一生を得た。
おそらく医学界一スピリチュアルな西脇医師の考え方の背景には、何度も死に神の鎌に触れては身を翻して帰ってきた、こんな数々の経験があるのかもしれない。