今年は50年のキャリアで初となる朝ドラへの出演や記念公演も決定している松平健さん。「最近は若いお客さんも増えているのを感じます」古希を迎えてもアクションシーンをこなす現在の身体づくりから、昔の「少々“暴れん坊”だった」一面まで、その素顔に迫った。
「楽しんで帰っていただく」というのが基本
松平さんは、1974年に俳優の勝新太郎さんに弟子入りし、付き人をしながら役者人生をスタート。'78年にテレビドラマ『暴れん坊将軍』の主役である徳川吉宗役に抜擢されて以来、時代劇俳優としてスター街道をひた走ってきた。
今年の7月6日からは、芸能生活50周年を記念した公演が東京の明治座で始まる。
「明治座での公演は、'75年に勝新太郎師匠の舞台に端役として出演してから、今回で24回目となるため、私にとってはホームのような感覚です」
舞台は、一部が芝居の「暴れん坊将軍」、二部が歌と踊りのショー「マツケン大感謝祭~歌って踊ってオーレ!」の二部構成になっている。
「最初に『暴れん坊将軍』で世の中に出していただいたので、50年の節目で改めてもう一度、やらせていただきたいなと。最近は、ドラマの再放送を見て知ってくれたり、『マツケンサンバII』で私を知ったという人もいて、若いお客さんが増えているのを感じています。いつも同じ思いなんですが、“楽しんで帰っていただく”というのが基本なので、笑って泣いて、立ち回りもあって最後はスカッとする、生の暴れん坊将軍を見ていただきたいですね」
二部では『マツケンサンバII』の披露もあり、観客と一体になって楽しめる舞台が予定されている。
「40数年前から、舞台のフィナーレに全員で踊ってお祭り騒ぎで帰っていただくのが恒例です。当初『松健音頭』から始まって、『松健数え歌』、『マツケンマンボ』、『まつけん小唄』と続き、時代によってテンポがだんだん速くなってラテン系になって。で、『マツケンサンバ』ができて、『マツケンサンバII』ができてっていう。舞台も終わり良ければすべて良しで、最後にみんなでガーッと盛り上がるんです」
キラキラの衣装にもこだわりが詰まっている。
「当時、リオのカーニバルをイメージして私がアイデアを出して作ったんです。着物だけキラキラじゃおかしいんで、頭にも飾りをつけて。それまでスパンコールの着物ってたぶんなかったと思うので、皆さん衝撃を受けてね。見た瞬間お客さんが“えー”って引いたのは楽しかったですね(笑)」
生地は自らニューヨークへ買い付けに行っている。
「実は年ごとにスパンコールの大きさや形がちょっとずつ違うんですよ。丸だったり四角だったり、大きさも大小あって。今年は照明によって色が変わって見える生地なのでそんなところも見てもらいたいですね」
この秋には、50年のキャリアで初となる朝ドラ『おむすび』への出演も決定している。
「主人公のおじいちゃんの役なんですが、それも初めての役で。これからは年相応な役も多くなると思いますね」
おじいさん役にもなんら抵抗はない、と松平さん。
「いろんな役をやらせていただけて、その人物の人生を演じられることは素敵だし、こんな楽しい仕事はなかなかないって思います。どんな役でも、ファンの方に喜んでいただけるのがいちばんのやりがいです」
そもそも松平さんは、基本的にNGな仕事はないと公言している。ひとつの契機は、2003年にドラマの『暴れん坊将軍』が終わったこと。
「それまでは役のイメージを壊さない仕事を選んでやってきましたが、これからはこだわりなく、いろんなことに仕事の幅を広げていこうと思いました」
また近年では、コロナ禍で仕事の内容が変わったことも大きいという。
「それがきっかけでYouTubeもスタートしたし、改めて仕事の大切さにも気づきました。そのときに、いただいた仕事はできるだけこなしていこうと思いましたね」