「カミソリ入りの手紙がいっぱい届いた」

 チェッカーズ人気に乗って売れたのは事実だが、プライドもあった。

「メンバーがテレビの生放送で“チェッカーズもいいけど、俺たちもいいゼ”みたいなことを言った直後、カミソリ入りの手紙がいっぱい届きましたよ(笑)

 順調にキャリアを伸ばしていた矢先、解散する。

「忙しくなってギスギスしたのもあるけど、音楽的な方向性の違いが大きかった。一緒に曲を作っていた加藤喜一くんは硬派なロックが好きで、僕はシティ・ポップみたいなオシャレな曲が好み。若いからお互い突っ張るところもあって、僕が抜けることに。リーダーなのにクビ(笑)

 解散後はロンドンに渡り、帰国後は楽曲提供がメインに。1990年発売の少年隊『封印LOVE』など約50曲を手がけた。

「やっぱり自分の音楽を追求したいと思って始めたのが音楽ユニット『パリスマッチ』。ロンドン時代にジャジーなリズムとかソウルな曲が好きになって、その後にアシッドジャズのブームが来て。自分が作るメロディーに合う女性ボーカリストとユニットを組みました」

『SALLY』のデビュー曲『バージンブルー』のジャケット
『SALLY』のデビュー曲『バージンブルー』のジャケット
【写真】“チェッカーズの対抗馬”として売り出されていたデビュー当時の『SALLY』

 作曲家・プロデューサーとしての活動を広げているが、この3月には38年ぶりにSALLYを再結成した。

「NHK―BSの歌番組で『バージンブルー』を歌ったんです。ずっと断っていたんですけど、1回歌うくらい、いいかなって。ファンからはツアーを回ってくれとも言われましたが、それはちょっとキツい(笑)

 デビューから40年。今も音楽への愛は変わらない。

「SALLYで作った曲も、今やっている曲も自分の曲。音楽活動を長く続けられたのは『バージンブルー』のおかげだって感謝しています」