桂さんは10年前から、ファッションイベントなどを開催する団体『アラウンドビューティークラブ』の理事も務めていた。同団体で役員を務める原孝子さんは、桂さんに“励まされた”と話す。
「新しいことをどんどんやろうって、とにかく前向き。何か思いつくと、すぐにケータイに電話をくれました。腰が低い方で、40歳以上も年下の私に荷物を持たせてくれない。
“代わりに肩だけ貸してね”って。ランウェイでは私と手をつないで歩いていました。一方で、ホテルにチェックインするときは男性スタッフにエスコートを頼んでいて。“女性に頼むと介護に見えるじゃない”って(笑)」
サービス精神が旺盛で、疲れていても手を抜かない。
「一緒に参加したパーティーで、桂さんと写真を撮りたいという人が100人並んでも、いっさい手を抜かず、一人ひとりに応対していました。そういうところも尊敬できますよね」(前出・マダム路子さん、以下同)
私生活では40代で結婚した11歳上の夫は、'90年に71歳で亡くなった。
「自由に生きる桂さんを支える、包容力のある人でした。桂さんは“もっと一緒にいたかった”って。晩婚で、お子さんもいなかったから“私は結局1人ね”って。でも、1人になって余計に強くなったのでしょうね。後になって“結婚してよかった”とも言っていました」
日本に西洋式のウエディングを持ち込んだが、晩年は意識の変化も。
「最近は、神社に興味を持っていました。“これからは結婚の周年行事は神社ではないか”と話していました。日本人として原点回帰しようということでしょうか」(前出・ダマ奈津子さん、以下同)
常に新しいことを考えて行動するスタイルは、最後まで変わらなかった。
「昭和の時代は、女性が新しいことをするのは高いハードルがありましたが、桂さんは“できない人が焼きもちを焼いているだけ、気にしちゃダメよ”って。とにかくマイナスなことを口にすることを嫌っていました」
前を向いて一直線に、走り抜いた人生だった。