雅子さまの園遊会初参加の日
愛子さまの母、雅子さまは1993年6月9日に結婚し、その年の10月15日に開かれた秋の園遊会に初めて参加した。政府関係者や各界の功労者など約1800人が出席した。当時、皇太子妃の雅子さまは同年8月の世界陸上マラソンで日本女子陸上界初の金メダリストとなった浅利純子さんに、「(世界陸上を)皇太子さまと夕食をとりながらテレビで見ていました」と、話しかけたという。
翌'94年2月9日、結婚からちょうど8か月が過ぎた日に、皇太子ご夫妻(当時)の記者会見が行われた。記者から「皇室に入られて一番、苦労されたことはどんなことでしょうか」と、尋ねられた雅子さまは次のように答えた。
「難しゅうございますね。たぶん、やはりこれまでの自分の人生の中でなかったような場面というのがいろいろございまして、といいますのは、例えば、常に人に、大勢の人に見ていられるというような状況は今まで経験したことはございませんでしたので、そういったことで少し最初のうち驚きを感じたりしました」
'93年12月9日、30歳の誕生日を迎えた雅子さまは文書で次のように綴っている。
《ちょうど結婚半年を迎えますが、この間、多くの新しいことを学び、経験する機会に恵まれ、あっという間に半年が過ぎたように感じますと同時に、6月9日の結婚の諸行事からまだ6か月しか経っていないことが不思議にも思えます。この半年間、特にはじめの2、3か月は無我夢中で日々を過ごしてきたような気がいたします》
当時、私は毎日新聞社会部記者で宮内庁を担当していた。前述した記者会見にも出席していたし、30歳の誕生日の文書回答もリアルタイムで読んだ記憶がある。常に大勢の人から見られているという経験はこれまでの雅子さまの人生にはなかったであろうし、結婚後、数か月間は無我夢中で過ごしてきたという述懐もまさにそのとおりであろうと、会見で雅子さまの発言を直接、聞いたり、文書を読んだときにそう思った。
喜びや感謝の言葉だけではなく、驚きや戸惑い、不安や心配……。こういったネガティブな感情まで包み隠さず、素直に私たち記者に伝えてくれたことに、私は感謝すると同時に、そんな雅子さまにとても好感を持った。こうした素直さや正直さが、繰り返し、記者会見や文書などを通じて広く、国民に向けて伝わっていれば、その後の皇室と国民との関係は、今とはまた違ったものになっていたかもしれない。
しかし、適応障害と診断され、今でも《御快復の途上にあり、依然として御体調には波がおありです》('23年12月9日、医師団見解)という雅子さまにとって、それは難しいことなのだろう。