その夜、家族で集まり、子どもたちに「母は白血病になりました。明日から入院します」と告げると、次女は号泣。長女は我慢の表情で無言に。「みんなが泣くと、ママを不安にさせてしまう」と、涙をこらえていたとか。
「夫の話では、私が別の部屋で仕事先の各所に電話をしている間、長女も泣き出してしまったそうです」
シャワー後にバサッと束で髪が抜けたときは“ドラマみたい”
その後、バタバタと家の片付けや入院の支度を済ませ、寝る前になって小澤さん自身も不安が込み上げてきた。涙が後から後からあふれたが、前を向こうと決めた。
「治療計画を説明してもらい先が見えたことと、一番大きかったのは池江璃花子選手の存在でした。白血病といえば池江さん。立派に復活された姿を見ていたので、私も大丈夫と希望を持てたんです」
大きく4つの型に分かれる白血病の中でも、池江選手と同じ急性リンパ性白血病だとわかったのは、入院して検査が進んでからだった。
治療の基本は抗がん剤による化学療法。最初の1か月は、強い抗がん剤の点滴で体内のがん細胞を一気にたたく「寛解導入療法」が行われた。
「強い薬だけに副作用も大きく、吐き気に襲われました。最初は、どこまで我慢していいのかわからず吐いてしまったんですが、看護師さんが“我慢せず甘えてください”と言ってくださって。以降は早めに吐き気止めを飲むように。今の副作用止めの薬は優秀で、つらい時期は短く済んだ気がします」
とはいえ、胃がムカムカして食欲が落ち、体重は4~5kg減少。
「食欲とともに気持ちも沈みがちでしたし、寝たきりだとごっそり筋肉が落ちてしまって。抗がん剤を入れ始めて10日後ぐらいからは、副作用による脱毛もありました。シャワー後にバサッと束で髪が抜けたときは、冷静に“ドラマみたい”と(笑)」
1か月がたち、寛解導入療法後のMRD(微小残存病変)検査の結果は陰性。
「この検査が陽性となった場合は、骨髄移植に向けた治療が必要になるそうですが、私は幸いにも陰性だったので、移植は行わないことが決まりました」
ここからさらに、5か月の「地固め療法」を行うのだが、その前に1週間の退院期間があった。
「リフレッシュ期間だから好きなものを食べて、体重を増やして戻ってきてねと言われて。そのころには食欲も回復したので、添加物など気にせず、食べたいものをとにかくたっぷり食べて、次の治療に向けてしっかり食べて体重を増やしました」
その後は1か月入院して治療し、1週間退院するサイクルを5回。入院期間はトータルで約7か月に。コロナ禍だったうえ、無菌病棟にいたため、面会も禁止だった。
「家族と頻繁にテレビ電話もできたので、寂しさはありませんでした。ただ、入院してすぐのころ、長女が数日間学校を休んだり、成績が下がったりしたことがありました。後で知ったのですが、子どもたちがネットで白血病について調べたらマイナスな情報ばかり出てきて、“ママは死んじゃうのかな”と怖くなったらしくて……」
しかし、小澤さんはその経緯を知らなかったため、電話で長女を叱ってしまう。
「日頃うるさい母親がいないから、さぼっているのかと思って(笑)。でも実は家にいる間、私のために千羽鶴を折ってくれていたと。夫の発案で、私の母や姉にも協力してもらい、みんなで作ってくれて。完成後にテレビ電話で見せてもらって、すごくうれしかった。そしてひどい母親だったと反省しました(苦笑)」
千羽鶴だけでなく、入院中は実家の母が京都から夫や娘たちに食品を送ってくれたり、実姉や義母が食事の世話をしてくれたりと、さまざまなサポートがあったそう。
「それでも夫は、仕事、家事、子育てを一手に引き受けて本当に大変だったようです。今こうして元気でいられるのも、周りのみんなの支えがあってこそ。感謝の気持ちでいっぱいです」